ヤーンテラー相転移を示さない銅酸化物磁性体の発見[1]

―乱れに強いスピンと軌道の量子液体の形成―

自然は安定で最もエネルギーが低い状態を保とうとします。一方、温度が高くなるとエントロピーと呼ばれる乱雑さが状態を支配しようとします。これが例えば固体が液体に、液体が気体に変化して、 自然が魅惑的な様相を示す原動力の一つとなっています。逆に、温度が低くなると、比較的自由に動き回っていた原子や分子が、エネルギーを下げるために自発的にその対称性を破る固体となります。 この対称性の破れは、氷が水より軽くなって浮いてしまうといった不思議な現象を示します。しかし、量子力学的なエネルギーを下げることで、低温でも液体状態を保つ場合があり、量子液体として知られています。 たとえば、超流動を示すヘリウム、電子の示す超伝導状態などです。この量子状態は基礎的に重要な研究対象であるだけでなく、乱れに対して強いために応用研究の対象として注目されてきました。 一方、最近の磁性体(注1)の研究において、磁性を司るスピンや軌道を特殊な配置に並べた場合、低温まで対称性の破れが生じずにいつまでも液体の状態が保存されるという奇妙な性質が、 新たな量子液体(注2)として世界中で注目されて研究されています。しかし、このようなスピンや軌道の量子液体状態は不安定であることが知られており、磁性体の構造の乱れや変化等により凍結すると考えられてきました。 今回我々は銅酸化物の研究から、銅原子の持つ電子の軌道とスピンの協力現象を制御することで、固体中で乱れに強い一種の量子液体状態を実現できることを突き止めました。 これらは、東京大学物性研究所で作成及び基礎物性実験により精査した純良試料を用いて、大型放射光施設SPring-8を用いたX線回折実験(名古屋大学)、電子スピン共鳴実験(大阪大学極限量子科学研究センター)、 ミュオンスピン共鳴実験(注4)(日本原子力研究開発機構)等の最先端の実験技術の多角的な活用により初めて明らかになりました。この成果は東京大学物性研究所、名古屋大学、大阪大学極限量子科学研究センター、 カリフォルニア州立大学、日本原子力機構、琉球大学、バンデュン工科大学、米国国立標準技術研究所、メリーランド州立大学、ジョンズ・ホプキンス大学の共同研究によるもので、米国科学誌『サイエンス』に5月4日に掲載されました。 固体中の陽イオンはその電子エネルギーを下げるために、周囲の陰イオンの配置の対称性を自発的に破る性質を持ちます。これらはヤーンテラーイオンと呼ばれます。 銅イオンはその典型例であり、銅酸化物ではこの歪が巨視的に現れるヤーンテラー相転移を示すと考えられてきました。今回われわれが着目した物質(Ba3CuSb2O9、図1)は、 協力的なヤーンテラー相転移を低温まで起こさない初めての例であるばかりでなく、さらにスピンも極低温まで動的な液体状態を示すことを明らかにしました。これはスピンと軌道が協力して、 局所的に量子力学的な一種の共鳴状態を形成したためであると考えられます(図2)。 このような乱れに強い量子液体状態を示す物質の発見は、 量子コンピュータなど量子情報の制御の基盤形成に必要な物質開発に一つの指針を与えると期待されます。

図1 Ba3CuSb2O9の結晶構造 赤色の銅イオンが蜂の巣格子の短距離秩序を形成する。

図2 スピンと軌道の協力現象が作る量子状態の可能性。次の二つが考えらえる。上図: リング型の軌道秩序によるスピンの共鳴状態。下図: スピンと軌道の共鳴状態。ベンゼンのパイ電子の共鳴状態に類似。

今回、発見した乱れに強い量子状態を示す物質はBa3CuSb2O9という物質であり、価数が二価の銅(Cu)イオンと五価のアンチモン(Sb)のペアのつくる電気双極子からなります。 この物質は1970年代からこれまで電気双極子が三角格子を組む強誘電体と考えられてきました。しかし、今回我々が新たに行った大型施設SPring-8を用いた放射光実験により、この系の本質は三角格子のフラストレーション(注3)であり、 電気双極子が自発的に短距離秩序をつくることで、CuO6八面体の蜂の巣構造が本質的に乱れを伴って安定化していることが分かりました (図1)。 通常、軌道の自由度を持つ陽イオンはその周りの陰イオン(配位子)の配置の対称性を下げることで、ひとつの軌道の持つ静電エネルギーを下げるべく軌道秩序を示します。 この現象はヤーンテラー転移と呼ばれ、高温超伝導体等で知られる銅酸化物はその典型例であり、これまで銅酸化物は必ずヤーンテラー転移を起こすことが知られていました。 今回、東大物性研・中辻准教授、名古屋大学・澤教授、阪大極限センター・萩原教授、日本原子力研究開発機構・髭本研究主幹、ジョンズホプキンス大学・ブロホルム教授らは、Ba3CuSb2O9の構造・磁性について、 東京大学物性研究所において作成された純良試料を用いて、基礎物性実験(東京大学物性研究所)、SPring-8を用いた放射光実験(名古屋大学 澤教授)、電子スピン共鳴実験(大阪大学極限センター)、 ミュオンスピン共鳴実験(注4)(日本原子力研究開発機構)により多角的に調べることで、この物質は低温まで磁気秩序も、また、巨視的なヤーンテラー転移も示さないことを発見しました。 また、米国国立標準技術研究所で行った中性子散乱実験(東京大学物性研究所日米協力)から、短距離の蜂の巣格子を作る銅イオンの持つS=1/2のスピンは隣の銅イオンのスピンと局所的な共鳴状態であるダイマー状態を作ることがわかりました (図3)。一方で、米国で行ったエックス線吸収微細構造実験(米国カリフォルニア州立大学)の測定から、短い時間スケールでかつ局所的にはすべての銅イオンサイトにおいて、ヤーンテラーの歪を起こしていることがわかっています。これらのことから、局所的なスピンダイマーのペアをつくるように蜂の巣のリング状に軌道が秩序している可能性と、スピンと軌道がともにダイナミックな状態を形成し、量子力学的な共鳴状態を形成している可能性が明らかになってきました(図2)。 銅酸化物においてこのような巨視的にヤーンテラーの存在しない状態が実現していることは大変驚きであり、その状態がスピン液体という新しい量子力学的状態を安定化している可能性があります。 さらに、このような新しい量子液体状態は、銅とアンチモンのつくる電気双極子の相互作用により蜂の巣格子状に銅イオンが自己組織化したことによります。 この電気双極子の配列を制御することで、この量子物性の制御が可能であることを示しており、今後の材料開発に重要な指針を与えることが期待されます。

図3 中性子散乱によって明らかになったスピン液体状態のつくるエネルギーギャップ。縦軸はエネルギー、横軸は(逆)空間の波数に対応する。このエネルギーギャップの存在が、このスピン液体状態を安定なものにし、不純物等に対して強靭なものにしていると考えられる。

用語解説:
(注1)磁性体・磁気秩序・強磁性体 磁性体とは、内部に各電子の回転運動に起因した微小な磁石(スピン)を有する物質である。通常冷却すると、巨視的な数の電子スピンが何らかのパターンで整列する磁気秩序を示す。主として、磁石としての巨視的な磁化を示す鉄・コバルト・ニッケルなどの強磁性体、磁化が内部で打ち消されている反強磁性体、スピンが秩序化しない常磁性体などに分類される。
(注2)スピン液体、量子スピン液体 磁性を担うイオンに束縛された各電子のスピンの向きが、時間的にも空間的にも一定の方向に留まらず、揺らいでいる状態をスピン液体と呼ばれている。特に量子揺らぎのためにスピンが固体にならず、絶対零度まで液体である場合、量子スピン液体と呼ばれる。
(注3)幾何学的フラストレーション 下図は正三角形の頂点上にある矢印が電子スピンを表す。矢印は上下の向きを取れるとして、隣り合うスピンは必ず反対向き(反強磁性的)にしかとれないとすると、どうしても配列が一つにさだまらず、スピンはフラストレーションを感じる。このように、三角形を基調とした構造を持つ磁性体は、その構造ゆえにすべてのスピン対に好まれる関係を完全には充足できない。このことを幾何学的フラストレーションと呼ぶ。

(注4)ミュオンスピン共鳴実験 加速器によって得られる素粒子ミュオン(μ)を用いた磁気測定手法。ミュオンを試料に打ち込み、ミュオンの小さな磁石としての性質(スピン)を利用して超高感度で磁気秩序の有無を検出する。

[1] S. Nakatsuji, K. Kuga, K. Kimura, R. Satake, N. Katayama, E. Nishibori, H. Sawa, R. Ishii, M. Hagiwara, F. Bridges, T. U. Ito, W. Higemoto, Y. Karaki, M. Halim, A. A. Nugroho, J. A. Rodriguez-Rivera, M. A. Green, C. Broholm, Science 336, 559 (2012).

"Japanese Scientists in Science 2012−サイエンス誌に載った日本人研究者"(リンク先pdfファイルの32ページ)もご覧ください。

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電子のスピンと軌道の絡み合った共鳴状態の世界初の解明
新しい量子状態の存在を示唆する成果

<本研究成果のポイント>
・新しい量子状態を示唆する、スピンと軌道が混ざったスピン軌道共鳴状態を観測
・低温では、電子の軌道とスピンが強く関連しながら揺らいだ状態が実現していることを観測

概要

大阪大学大学院基礎工学研究科(物質創成専攻物性物理工学領域)若林裕助准教授、東京大学物性研究所 中辻知准教授を中心とする研究グループは、蜂の巣構造を基本骨格とする銅酸化物(図1)において、電子の持つ自由度であるスピンと軌道が量子力学的に混ざった状態に特徴的な構造を観測することに世界で初めて成功しました。研究グループは、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(KEK)放射光科学研究施設フォトンファクトリー(PF)*1の放射光を用い、数ナノメートルの範囲でのみ銅イオンの電子軌道が整列していることを観測しました。その温度依存性を磁性と比較した結果、電子の軌道とスピンが強く絡み合いながら揺らいだ状態が実現していることが明らかになりました。この状態は、軌道が高い温度で秩序化し、その環境に合わせて磁性が低温で秩序化する通常見られる状態と大きく異なっています。

  蜂の巣構造などある種の幾何学的な構造は、単純な秩序構造と辻褄が合わず、フラストレーションを持ったまま非常に低温まで秩序を形成しないことが知られています。そのような物質の中では、通常生じない新しい状態が生まれることが理論的に予想されています。今回の観測は、このような新しい状態の一つを実験的に確認したことに相当します。このような新しい量子状態は、新しい物性や機能を秘めている可能性があり、今後はその解明が期待されます。

本研究成果は、Nature Communicationsの2013年6月17日号(英国時間)に掲載される予定です。

図1:Ba3CuSb2O9の結晶構造。

研究の背景

 単純な秩序構造をもたない結晶では、幾何学的フラストレーション*2と呼ばれる電子スピンが不安定な配列になり、特異な物性が現れるため多くの研究が行われています。通常は温度を下げると、フラストレーションを解消するように構造が歪むことで何らかの秩序状態に到達しますが、まれに非常に低温までフラストレートした状態が継続することがあります。量子力学的な揺らぎによって秩序形成が妨げられた場合、電子が抵抗なしに動き続ける超伝導や、粘性のない液体である超流動のような、非常に変わった現象がおこります。このように“何かが動き続ける”状態が発見されれば、これまでにない新しい物性が出現すると考えられます。今回測定したBa3CuSb2O9は極めて低温まで秩序化が生じないフラストレーションを持った磁性体である上に、銅の電子軌道の配置にも自由度があります*3。このような状況では、電子スピンが担う磁性と、軌道自由度とが混ざった新しい量子状態の可能性が理論的に指摘されていました。

 Ba3CuSb2O9の磁気的な性質については既に調べられていましたが、軌道自由度の精密な測定はこれまでなされていませんでした。八面体配位した銅の場合、図2に示すように、x、y方向に広がった軌道が占有されない場合、z方向に八面体が伸びるように歪みます。これを利用して、構造の歪みをX線散乱法*4によって観測することでBa3CuSb2O9の電子軌道の配置を調べました。

図2:八面体配位した銅イオンの軌道と歪みの関係 x, y 方向に伸びた電子軌道(緑のシンボルで表示)が空席となる場合、z方向に伸びるように構造が歪む。

 測定の結果、以下のことが解りました。
(1) 室温(300 K)では図3(a)のような弱い電子軌道の秩序が生じている。
(2) 低温(4 K)では図3(b)の秩序が発達するとともに図2の秩序が混在する。
(3) これらの秩序は最大でも数ナノメートルの範囲でしか生じない。
(4) 磁性が大きく変化する50Kまでは温度低下とともに電子軌道が秩序化していくが、それ以下の温度では軌道秩序は変化しない。

 軌道自由度は非常に強く周囲と相互作用しているため、通常は磁性よりずっと高温で秩序化します。しかし今回の場合、磁性が軌道自由度の振る舞いを支配しているように見える点が通常と大きく異なる点です。

一方、理論研究では、スピンと軌道が混ざった量子状態を形成し、スピン軌道共鳴状態というベンゼンのような特殊な電子の状態が生じ、図3のような軌道秩序が予言されています。今回の測定は電子軌道の配列と、その温度依存性の二つの側面でこの理論を裏付ける結果を得ました。

図3: ハニカム構造で期待される電子軌道の秩序状態弱い電子軌道の秩序(a)によるハニカム構造の中に、(b)の秩序が混在し、かつ(b)は2つの状態が混在している。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

本研究では、理論的に指摘されていた新しい量子状態を支持する観測結果を得ました。今後は、極低温下での時間的変動などを調べることで確定的な結論を得ることを目指します。このような新しい量子状態は、新しい物性を秘めている可能性があり、その解明が期待されます。

特記事項

本研究成果はNature Communications (http://www.nature.com/naturecommunications) の2013年6月17日号(英国時間)に掲載。

<論文情報>

Dynamical spin-orbital correlation in the frustrated magnet Ba3CuSb2O9
(日本語名:フラストレーション磁性体Ba3CuSb2O9に見られる動的スピン軌道相関)
DOI: 10.1038/ncomms3022

用語解説

*1  フォトンファクトリー(PF)
光(Photon)の工場(Factory)の愛称で親しまれているPFは、日本初のX線を利用できる放射光専用光源として、1982年に完成した。数度の大改修を経て輝度を高めるとともに、最新技術の実験装置の整備により、世界最先端の研究成果を創出している。このような大型施設は、大学などが単独で維持管理することが難しいため、大学や研究機関が共同で利用実験するための施設(大学共同利用機関)としてKEKで運用している。

*2 幾何学的フラストレーション
円柱を束ねた場合、正三角形状に並ぶのが普通の並び方である。一方、円柱型の棒磁石を束ねようとすると、隣あわせの磁石の磁極(NS)を逆に向けようという磁気的な力が働く。しかしこの磁気的な相互作用は正三角形状の配列と辻褄が合わない。このように磁石をどう配置しても安定な配置になることが出来ない幾何学的な配置は何種類も知られており、そういった状況を幾何学的フラストレーションがある状態と呼ぶ。この種の構造を持つ物質は簡単な安定構造をとることができないため、予想が難しい奇妙な性質を示すことが期待される。

*3 銅の電子軌道配置の自由度
銅を含む遷移金属の性質は3d軌道の電子に支配される。 この物質では銅の価数は2+で、3d電子の軌道10個のうち、9つを占有する。一つだけ電子の入らないd軌道が残るが、それが右図の3つのどの軌道であっても同じエネルギーを持つ。そのため、どの軌道が占有されずに残るかは決まらず、自由度が残る。これを軌道の自由度と呼ぶ。多くの場合、隣のサイトとの相互作用によって安定な構造が定まるが、この物質では極低温まで冷やしてもこの自由度が残ったままになる。

*4 X線散乱
X線を試料に照射し、散乱されたX線の強度分布から物質中の原子配置を調べる手法。結晶から液体まで、幅広い物質に対して適用される。




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極低温まで軌道自由度が凍結しない銅酸化物を実現
−『量子スピン軌道液体』状態の実現に道を拓く−

概要

名古屋大学大学院工学研究科、大阪大学大学院理学研究科附属先端強磁場科学研究センター、華中科技大学、東北大学、ジョンズ・ホプキンス大学、岩手大学との共同研究により、ヤーン・テラー歪 注1) を起こさない銅酸化物を実現しました。

電子の持つ多自由度(スピン・軌道・電荷) のうち、スピン自由度が最低温まで凍結しない『量子スピン液体』注2) 状態の実現は凝縮系物理学における到達点の一つとされます。ペロブスカイト型構造 注3) を有する銅酸化物において、スピン自由度に加えて軌道自由度も最低温まで凍結しない『量子スピン軌道液体』実現の可能性が指摘されていましたが、良質な試料の欠如から、極低温での軌道状態の観測は困難でした。

今回の研究では、ペロブスカイト型銅酸化物6H-Ba3CuSb2O9の大型結晶の育成法を確立し、大型放射光施設SPring-8注4)でのX線回折実験や電子スピン共鳴(ESR)など、種々の実験手法を多角的に併用した研究によって、軌道自由度凍結のサインであるヤーン・テラー歪が観測可能な極低温まで生じないことを明らかにしました。上記の成果は、超伝導やヘリウムの超流動と比類する『量子スピン軌道液体』という新しい量子液体状態の実現に道を拓くものです。そして、放射光X線回折法による構造解析から、ヤーン・テラー歪みを抑制する構造条件を明らかにすることに成功しました。この成果に基づいて、『量子スピン軌道液体』状態を実現する新たな物質のデザインが可能となり、量子コンピュータなど量子情報制御の基盤形成に必要な物質開発にも影響を与えると期待されます。

図1: (左) スピン軌道液体状態 (右) スピン軌道秩序状態 の概念図。今回のペロブスカイト型銅酸化物においては、銅(II)イオンで形成された蜂の巣格子を舞台に、スピンと軌道が結合した短距離秩序状態が、短い時間スケールで生成と消滅を繰り返している。ある一瞬における短距離秩序状態を切り取ると、左図のような状態が実現していると予想される。また、本研究で明らかにしたヤーン・テラー歪みを抑制する構造条件を破ることで、スピンと軌道が恒常的な格子歪みを伴って秩序化する結晶を実現することも可能となる。このような結晶では、右図のような状態が実現していると予想される。

<本研究成果のポイント>
・ペロブスカイト型銅酸化物6H-Ba3CuSb2O9において,エネルギー的に最も安定とされる軌道自由度凍結が生じないことを実験的に明らかにした。
・超伝導や超流動に比類する『量子スピン軌道液体』という新しい量子液体研究の実現に道を拓いた。
・『量子スピン軌道液体』状態を実現する新たな物質デザインの指針を与えるとともに、量子コンピュータなど、量子情報の制御の基盤形成に必要な物質開発に影響を与えると期待される。

研究の背景

1973年にP.W. Andersonによって電子の持つスピン自由度が最低温まで秩序化しない『量子スピン液体』の概念が提案されて以降、実際の物質例を求めた開発研究が日夜行われています。我々のグループでは、スピンに加えて軌道にも自由度があるペロブスカイト型銅酸化物6H-Ba3CuSb2O9において、スピンと軌道が絡み合った新しい量子液体状態『量子スピン軌道液体』状態が実現している可能性を見出し、2012年に論文報告を行いました(Science 336 (2012) 559.)。しかし、当時は純良な大型単結晶が得られておらず、低温での軌道状態を解明することが出来ていなかったため、『量子スピン軌道液体』の実現は可能性の一つに留まっていました。特に,軌道の液体状態は温度に換算して数千度のエネルギー利得を放棄していることになるため物議を醸していました。従って,『量子スピン軌道液体』の実在を証明し、新たな研究の一分野を確立するために、大型単結晶を利用した低温での軌道状態の観測実験が必要とされていました。

研究の内容

軌道自由度は格子系と結合しやすく、低温で軌道自由度が生き残っているか否かは軌道の秩序化に伴う格子の歪み(ヤーン・テラー歪み)の有無を実験的に観測することで判断できます。大型単結晶の育成法を確立し、得られた単結晶試料を用いて放射光X線回折法、電子スピン共鳴(ESR)、ラマン分光法、超音波測定法という種々の実験手法を併用した多角的な構造研究を行いました。結晶全体を見渡すマクロな視点、局所構造を詳しく調べるミクロな視点、それぞれの視点から構造の対称性を徹底的に調べ、極低温までヤーン・テラー歪みが生じていないことを明らかにしました。

図2:(a)(b)はスピン軌道液体状態を実現する結晶、(c)(d)はスピン軌道秩序状態を示す結晶の単結晶X線回折像。(a)(b)では低温に下げても回折パターンに変化はなく、軌道自由度の凍結を示唆するヤーン・テラー歪みが生じていないことを明確に示している。一方、(c)(d)では低温の(d)で回折パターンが多重に分裂しており、スピンと軌道の秩序化に伴うヤーン・テラー歪みの存在を示している。

成果の意義

極低温まで軌道自由度が凍結しないことが明らかになり、『量子スピン軌道液体』状態の実現を疑問視するすべての可能性が取り払われ、本成果をもって、『量子スピン軌道液体』研究の舞台が整いました。本研究の成果を基盤として、単結晶を利用した物性研究が進行し、スピン自由度と絡み合った軌道のダイナミクスなど、この新しい量子液体状態を特徴づける様々な物理現象が見出されていくと期待されます。

用語解説

注1) ヤーン・テラー歪
固体中の陽イオンが電子エネルギーを下げるために、周囲の陰イオンの配置の対称性を自発的に破り低対称化する現象のこと。本研究で扱った銅(II)イオンはヤーン・テラー歪みを引き起こす性質を持つヤーン・テラーイオンの典型例として知られている。

注2) 量子スピン液体
磁性を担うイオンに束縛された各電子のスピンの向きが、時間的にも空間的にも一定の方向に留まらず、揺らいでいる状態がスピン液体と呼ばれている。特に量子揺らぎのためにスピンが固体にならず、絶対零度まで液体である場合、量子スピン液体と呼ばれる。

注3) ペロブスカイト型構造
一般式ABO3で表される元素組成を持つ、金属酸化物の代表的な結晶構造。本研究で扱った6H-Ba3CuSb2O9は上記組成式にならってBa(Cu1/3Sb2/3)O3と書き改めることが出来る。6H-Ba3CuSb2O9はCuO6八面体とSbO6八面体が面共有で連結されたCuSbO9ユニットと、孤立したSbO6八面体が頂点共有でネットワーク構造を形成した六方晶複合ペロブスカイトに分類される。

注4)大型放射光施設SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高エネルギーの放射光を生み出す理化学研究所の施設で、その運転管理と利用者支援などは高輝度光化学研究センター(JASRI)が行っている」。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のこと。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。

論文名

Absence of Jahn-Teller transition in the hexagonal Ba3CuSb2O9 single crystal” この成果は、米国科学アカデミー紀要 (Proceedings of the National Academy of Sciences)オンライン版に7月13日(米国東部時間午後3時)に公表されました。

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このページでは銅酸化物磁性体Ba3CuSb2O9におけるスピン・軌道液体状態について紹介します。

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