金属中の磁気フラストレーションとスピンカイラリティ

重い電子系で代表される磁性金属では、基底状態が強磁性や反強磁性と言った磁気秩序を持つ状態か、 あるいは、磁気秩序を持たない通常の金属状態、所謂“フェルミ液体”かのいずれかの状態をとることが知られています。 この二つ状態が絶対零度で競合しているのが、現在、広く注目されている量子臨界点であり、 まさにスピンが低温まで秩序しないで液体状態にあると言う意味ではスピン液体にも対応します。 それでは、この状態を点ではなくて、新しい相として安定化できないでしょうか? そうすれば、量子臨界性に特有な興味深い現象が、 その量子臨界点を実現するために通常、圧力、化学組成を連続的にコントロールせずに、常圧で現れる可能性があります。 そこで、私たちは、幾何学的なフラストレーションを用いて、このような磁性を抑え、いわば、金属でのスピン液体状態の実現を目指す研究をしています。 その対象のひとつとして、以下に、幾何学的フラストレーション効果が大きく期待されるパイロクロア型イリジウム酸化物における、 金属スピン液体もしくは金属スピンアイス状態の可能性と、 スピンカイラリティに起源を持つ可能性のある、新しいタイプの異常ホール効果について紹介します。

図1: 幾何学的フラストレーションによるスピン液体安定化の概念図。


磁性金属におけるスピン液体的振る舞いの発見

<Physical Review Letters 2006年3月3日号に掲載>

ここでは、幾何学的フラストレーション効果が期待されるパイロクロア型イリジウム酸化物系を紹介します。 局在スピンを持つパイロクロア型酸化物磁性体は、数多く知られていますが、これまで報告されていたものすべてが比較的高い温度で磁気転移を示します。 特に金属でありながら局在スピンが低温まで秩序を示さないというものは皆無でした。 我々は、Pr2Ir2O7がその初めての例であり、低温でスピン液体的に振る舞うことを、最近育成に成功した単結晶での研究により見出しました[1]。  この系は強いフラストレーションの効果としていくつかの注目するべき点を持っています。 ひとつは、本来ならば磁気秩序が期待される20 Kという高い反強磁性相互作用の温度スケール(ワイス温度θW)に対して、 スピンの弱い凍結現象が見られるのがそれよりずっと低温の0.12 Kだという事実です。 最近のミューオンを用いた共鳴実験の結果によると、それより低温の0.03 Kまでほとんどのスピンが揺らいでおり、 スピン液体を実現している可能性があります[2]。二つ目に注目するべき点は、近藤効果的ふるまいです。 通常、Prを含む他の金属や、酸化物では磁気秩序が起こるために近藤効果は見られません。 ここでは、フラストレーションにより磁気秩序が抑えられたことで、 不完全ではあるが近藤効果が起こり、 その結果、部分的に短くなった局在スピンが低温で液体として振舞っている可能性があります

図2:(左) Prモーメントの作るパイロクロア格子。4面体の各頂点にPrイオンが占めています。(右) 我々により初めて成功したフラックス法による単結晶の写真。

図3:Pr2Ir2O7の磁化率χの温度T依存性(左)と 電気抵抗率ρの温度T依存性(左 挿入図)。磁化率はワイス温度θW = 20 Kにくらべて十分に低温のTf = 0.1~0.2 K程度まで異常が見られません。 Tf = 0.12 Kで磁化率にヒステレシスが現れ、スピンが少なくとも部分的に凍結することを示します。 電気抵抗の温度依存性は40 Kで極小を示し、その振る舞いは実線の理論曲線(Hamannの式)で表わされる近藤効果に期待される振る舞いを示します[1]。
[1] S. Nakatsuji, Y. Machida, Y. Maeno, T. Tayama, T. Sakakibara, J. van Duijn, L. Balicas, J. N. Millican, R. T. Macaluso, and Julia Y. Chan, Physical Review Letters 96, 087204 (2006).
[2] D.E. MacLaughlin, Y. Ohta, Y. Machida, S. Nakatsuji, G.M. Luke, K. Ishida, R.H. Heffner, Lei Shu, and O.O. Bernal, Physica B: Condensed Matter 404, 667-670 (2009).

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新しいタイプの異常ホール効果

<Physical Review Letters 2007年2月2日号に掲載>

さらに興味深いことに、最近、このスピン液体的低温状態において非従来型の異常ホール効果を発見しました[3,4]。 下図にホール抵抗の温度依存性を示します。ワイス温度20 Kからホール抵抗はしだいに増大し始め、 スピン液体の振る舞いが現れる特性温度TH = 1.5 K以下でlnT の発散的増大を示します。 1.5 K以上では挿入図にあるように、ホール係数が磁化率に比例するという従来型の法則を満たしますが、 1.5 K以下の低温領域においては、この法則はもはや成り立ちません。 また、同じスピン液体の温度領域で、ホール抵抗の磁場依存性は強い異方性を示し、 磁化の磁場依存性とは全く異なる振る舞いを示します。 これらの実験結果は、スピン軌道相互作用による従来型機構では説明することができません[3,4]。 これら興味深い現象の起源を考えるにあたって、Prのイジングスピンが、1.5 K以下で強磁性の短距離相関を持つことが重要です。 このことは、基底状態がまさにスピンアイスと類似し、四面体の二つのスピンが内向き、 残りの二つのスピンが外を向くという"Two-In Two-out"の状態を安定化させている可能性を示唆しています。 この意味で、Pr2Ir2O7の基底状態は、"金属スピンアイス"という大変興味深い状態に近いと考えられます。 その場合、Two-In Two-out状態のため、各Pr四面体は大きなスピンカイラリティを持ち、 このことが、非従来型の大きな異常ホール効果の一つの起源となっている可能性があります[3,4]。

図4: Pr2Ir2O7単結晶のホール抵抗(ρxy)の温度(T)依存性。挿入図はホール係数(RH = ρxy/B)の磁化率(4πM/B)依存性
[3] Y. Machida, S. Nakatsuji, Y. Maeno, T. Tayama, T. Sakakibara, S. Onoda, Physcial Review Letters 98 057203/1-4 (2007).
[4] 町田 洋、中辻 知、前野悦輝, 固体物理、Vol. 42 pp. 635-645 (2007).

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磁気秩序を伴うことなく時間反転対称性を自発的に破るカイラルスピン状態とゼロ磁場ホール効果の発見

<Nature 2009年12月9日online版に掲載>

【概要】
私たちは、プラセオジウムとイリジウムの金属磁性体酸化物Pr2Ir2O7において、時間反転対称性を自発的に破るが、通常、同時に生じる電子スピンの整列・秩序は伴わない新しい状態(カイラル(キラル)スピン状態)を、ゼロ磁場でのホール抵抗の観測から発見しました。これは東京大学物性研究所・榊原研究室、理化学研究所・理論部門の小野田繁樹氏との共同研究によるものです。 固体の状態は、その物質中のマクロな数の電子が示す性質によって大きく決定されます。熱平衡状態における電子状態は、通常、時間反転対称性をもっています。つまり、すべての電子の運動の向きを反転させた状態は、もとの状態と全く同じ性質を示します。ところが、この時間反転対称性は自発的に破れる場合があることが知られています。その典型例が、強磁性体などにおいて電子のスピン角運動量(電子の自転自由度)や軌道角運動量(電子の公転自由度)のバランスが崩れ、物質が永久磁石としての磁化をもつ場合です。しかし、原理的には時間反転対称性が破れるのは、このような磁気秩序が発生する場合に限られません。巨視的な磁化が観測されなくても、近接する3つの電子のスピンが右手系と左手系のどちらをなすかを表すスピンカイラリティ(キラリティ)が巨視的スケールで発生する場合には、同様に時間反転対称性の破れが巨視的に観測されます。本研究グループは、プラセオジウムとイリジウムの金属磁性酸化物を極低温まで冷却することによって、ゼロ磁場でのホール抵抗の観測を通じて、磁気秩序を伴わない時間反転対称性の自発的破れを示す新しい熱力学相を発見しました。本研究成果は、平成21年12月9日(オンライン版)発行の英国の科学雑誌『Nature』に掲載されます。
【背景】
これまでに、磁気秩序を伴うことなく時間反転対称性が自発的に破れる可能性は、銅酸化物高温超伝導(注4)の研究において盛んに議論されてきました。巨視的な数の電子が相互作用する中で、電子スピンが量子力学的に揺らぐ効果のために、スピンカイラリティがスピン自身に先駆けて秩序化する可能性が提案されていましたが、実験的に確証を得るには至っていませんでした。このスピンカイラリティの発生を検出する一つの重要な手段として、スピンカイラリティに起因した異常ホール効果という現象があります。金属・半導体では、磁場を印加し、これに垂直に電流Iを流すと、磁場と電流の両方に垂直な方向に電圧降下VHが生じます。これはホール効果と呼ばれる固体の最も基本的な輸送現象の一つで、応用上も重要な意味を持っています。一方、金属強磁性体などでは、電子のスピン角運動量や軌道角運動量が整列することによって磁化が発生します。この磁化が磁場と類似した役割を担い、磁場を印加することなく時間反転対称性を巨視的に破り、ホール抵抗が発生します(図5A)。この現象は異常ホール効果として知られています。しかし、これまで報告のあったホール抵抗はすべて、外部からの磁場の印加によるか、あるいは、巨視的磁化を伴う磁気秩序のもとで観測されたものに限られていました。したがって、時間反転対称性の破れは、外部から印加した磁場によるか、あるいは、巨視的な磁化が存在する場合かの二つに限られていました。
【我々の研究の結果】
今回、我々の研究グループは磁気秩序がなくてもゼロ磁場で自発的にホール効果が出現する状態(図5B)を、世界で初めて発見しました。

図5 A) 強磁性体における異常ホール効果。自発磁化によってゼロ磁場でホール効果が自発的に現れる。B)スピンの秩序を伴わないホール効果。ゼロ磁場の自発磁化のない状態においてもホール効果が自発的に現れることから、スピンのカイラリティの秩序化が起源として考えられる。

その対象となった物質は、一般に幾何学的な磁気フラストレーションを持つ磁性体と呼ばれる物質群のひとつで、Pr2Ir2O7という化合物です。 この物質は主に磁性を担う元素としてプラセオジウム(Pr)原子を含みます。しかし、幾何学的な磁気フラストレーションの効果により、Pr原子の持つ磁気モーメントは低温でも秩序化を示しません。代わりに絶対温度0.3 K (Tf)において、ガラス化にともなう凍結現象を示します。今回、詳細なホール抵抗および磁化測定から、絶対温度1.5 K (TH)という低温以下、凍結温度0.3 K以上という、Prモーメントが磁気秩序・凍結現象を示さない温度領域において、ゼロ磁場でホール伝導度が自発的に現れる現象を見出しました(図6)。

図6 各温度で測定した7 Tまでの磁化過程から見出されたゼロ磁場での残留ホール伝導度と残留磁化の温度依存性。スピン凍結温度Tfよりも高温のTH ~ 1.5 Kから自発的に残留ホール伝導度が現れる。スピン凍結に伴って残留磁化はTf以下で有限になる。

さらに磁化測定から、この自発的なホール抵抗の発現機構には、いわゆる、水の凍結現象に現れる幾何学的フラストレーションが関与していることがわかってきました。この物質のPrモーメントは上向き、あるいは、下向きの2通りの自由度しか持たないイジングスピンであり、そのネットワークは氷の水素原子のそれと同じ、いわゆる、パイロクロア構造をとります。水が結晶を作る際に各酸素原子が結合する相手である二つの水素原子の選び方は、各酸素あたりに6通りありますが、それが結晶全体では、巨視的な場合の数として現れます。

図7 A) 3つの隣接する非共面な配置をとるスピンによって、スカラースピンカイラリティkijk = SiSj×Skが定義される。B) Pr2Ir2O7の結晶構造。Pr原子(赤丸)とIr原子(緑丸)はそれぞれパイロクロア格子を組む。Prモーメントは各四面体の重心方向に向くか、それとは反対方向に向くかの2通りの自由度しかもたないイジングスピンである。青と赤の矢印で示されるモーメントを持つPr原子の位置は、零磁場では青の矢印の向きが安定で、二つのスピンが内向き、二つのスピンが外向きという、所謂、スピンアイス則を満たす。[111]方向の磁場中ではメタ磁性転移を経て赤色の矢印の向きが安定化する。

幾何学的なフラストレーションにより現れる巨視的に縮退した状態が磁性体でも見つかっており、スピンアイスとして知られています。このPr化合物においても、スピンアイスと同様に、Prがつくる四面体の中心にある酸素の方向を向いて、二つのスピンが内向き、二つのスピンが外向きという、所謂、スピンアイス則を満たしている可能性が高いことが磁化の測定からわかりました(図7B)。 このような、幾何学的な磁気フラストレーションがあることで、従来型の磁気秩序がおさえられ、代わりに、スピンの高次の自由度であるスピンのカイラリティが巨視的な時間反転対称性を破る秩序を形成している可能性が考えられます。また、スピンアイス則を満たし、かつ、磁化がゼロになるという制約の下で、カイラルスピン構造を実際に作ることが可能であることを例証し、その場合に実際にホール伝導度が有限となることを理論計算から示しました。
【今後の期待】
自発的対称性の破れの概念は、物理学における最も根本的な概念です。今回の発見した自発的ホール効果は、母体となる電子の角運動量ないし磁気モーメント自身ではなく、そのカイラリティが顕在化し、時間反転対称性を巨視的に破る現象による可能性が最も高いと考えられます。このようなカイラリティの長距離秩序を持つスピン液体は高温超伝導体の発現機構に関連して、その可能性が約20年前から議論されてきましたが、それを実現するような物質はこれまでに知られておりませんでした。今回の発見は、実験的に初めてその存在を示唆するものであり、その詳細な研究は今後の磁性体、強相関電子の研究のひとつの礎を担うものと期待されます。また、このようなキラルスピン状態は、今回のような3次元物質ではなく2次元で生じるとすると、フェルミ統計やボーズ統計とは異なる分数統計に従う粒子が出現することも提案されており、今後さらに新たな量子凝縮相の発見が基礎科学の立場から期待されます。


[5] Yo Machida, Satoru Nakatsuji, Shigeki Onoda, Takashi Tayama and Toshiro Sakakibara, Nature 463, 210 (2010).

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スピンキラリティが誘起する自発的ホール電圧の磁場制御

<Physcial Review Letters 2011年5月26日号に掲載>

【概要】
ホール効果は19世紀の発見以来、磁場、あるいは、強磁性に伴う磁化の存在が必ず必要とされてきましたが、我々は磁気秩序の存在しないゼロ磁場下で、巨大なホール効果が、電子スピンが自発的に形成するスピンキラリティによって出現することを発見しました。今回は、そのスピンキラリティとゼロ磁場ホール効果が磁場の強度と方位により制御可能であることを見出しました。これは、低エネルギー損失、かつ、単層で作動するホール素子を用いた新しいタイプの不揮発性メモリの可能性を示す点で、基礎科学的だけでなく応用上も重要と考えられます。
【発表内容】
現在のCPUの揮発性メモリは、そのメモリ維持のためにリフレッシュ動作が必要となり、消費電力が大きいという欠点を持ちます。一方で、不揮発性メモリはメモリ維持のための電力を必要としないために、低炭素化にとって不可欠な技術です。開発の進む不揮発性メモリとして、磁気抵抗メモリ(MRAM)がありますが、その動作には多層膜のトンネル接合を必要とし構造的に複雑となっています。さらに、メモリの読み・書きの際の電流駆動による発熱、また、強磁性のヒステレシスによる本質的なエネルギー損失が存在します。そこで、単層で作動する構造的に単純なホール素子を用いた異常ホール効果を利用して、散逸を大幅に削減した新しいメモリ機構の開発が求められています。 19世紀の発見以来、異常ホール効果の発現には、これまで磁場、あるいは磁気秩序に伴った磁化成分が必要とされてきました(図8A)。そのような状況の下、我々はゼロ磁場で磁化のない状態で自発的に現れる新しいホール効果を発見しました(図8B)([5], 詳細はこちら)。 これは幾何学的フラストレーションにより安定化されたスピン液体状態において、スピンの作る立体角(スピンキラリティ)の巨視的秩序が巨大な仮想磁場(図9A)を作るために現れると考えられます。この新しい機構では磁化のヒステレシスに伴うエネルギー損失・発熱はなく(図3d)、また、従来の異常ホール効果を凌ぐ大きな信号が弱磁場で得られるため、このホール電流の機構解明は、基礎学術的に重要な課題であるのみならず、メモリの消費電力の低減を実現し、不揮発性メモリを用いた低エネルギー消費の情報処理を実現する技術基盤を与えると考えられます。 今回は、このゼロ磁場ホール効果を実現したPr2Ir2O7の純良単結晶を用いてホール伝導率の磁場とその方向依存性を詳細に調べたところ、この立方晶の物質の[111]方向に磁場をかけた場合に特に巨大なヒステレシスを伴った自発的ホール伝導度が現れることがわかりました(図3a~d)。この現象の現れる低温ではスピンはアイスルールに従い、スピンアイスと呼ばれる水の氷と同じ構造を取ることがわかっています(図9B)。このスピンの配置では、特に[111]面に最も大きなスピンキラリティの成分が現れることが期待され、そのことと一致することがわかりました(図10e)。また、氷では現れない量子性がこのホール効果の発現に重要となっていることを強く示唆しております。 この発見は東京大学物性研究所、理化学研究所、米国国立高磁場研究所の共同研究によるもので、米国物理学会誌『Physical Review Letters』に掲載されました[6]。 この成果は、上記の新しい自発的ホール効果、また、それを用いた今後のホール素子に基づくメモリ機構の開発のための重要な一歩となると考えられます。さらに、スピンアイスという新しい磁性現象で現れた量子効果の研究は、量子スピン液体という新たな磁性体を理解するうえでも、今後さらなる重要な知見を与えることが期待されます。

なお、こちらの結果は科学新聞(6/3)においても報道されました。

図8 A) 強磁性体における異常ホール効果。自発磁化によってゼロ磁場でホール効果が自発的に現れる。B)スピンの秩序を伴わないホール効果。ゼロ磁場の自発磁化のない状態においてもホール効果が自発的に現れることから、スピンのカイラリティの秩序化が起源として考えられる。

図9 A) 3つの隣接する非共面な配置をとるスピンによって、スカラースピンカイラリティkijk = SiSj×Skが定義される。B) Pr2Ir2O7の結晶構造。Pr原子(赤丸)とIr原子(緑丸)はそれぞれパイロクロア格子を組む。Prモーメントは各四面体の重心方向に向くか、それとは反対方向に向くかの2通りの自由度しかもたないイジングスピンである。青と赤の矢印で示されるモーメントを持つPr原子の位置は、零磁場では青の矢印の向きが安定で、二つのスピンが内向き、二つのスピンが外向きという、所謂、スピンアイス則を満たす。[111]方向の磁場中ではメタ磁性転移を経て赤色の矢印の向きが安定化する。

図10 (a,b,c) 0.5 Kにおけるホール抵抗率の磁場とその方位依存性。ゼロ磁場における自発成分をともなうホール抵抗のヒステレシスは磁場を[111]方向にかけた場合に特に大きく現れる。(d) 磁化は同じ温度で測定しても全くヒステレシスが現れないことから、このホール効果は、磁化と磁場のいらない自発的なものであることを示す。同時に磁化のヒステレシスがないことは、ホール抵抗の符合の反転に必要な損失が従来の強磁性体のそれに比べて大幅に抑えられることを示す。(e) このホール効果に伴う自発的軌道電流は(111)のカゴメ面に主に現れており、これはスピンSの作るキラリティ、あるいはそれによる仮想磁場の主成分Kが[111]方向を向いていることを示す。

[6] L. Balicas, S. Nakatsuji, Y. Machida, and S. Onoda, Physcial Review Letters 106, 217204 (2011).

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巨大ホール効果を示すキラルスピン液体における量子臨界性

<Nature Materials 2014年3月21日号に掲載>

【概要】
現在のCPUの揮発性メモリは、電力を供給しないと記憶している情報を保持できないため、消費電力が大きいという欠点があります。一方で、不揮発性メモリはメモリ維持のための電力を必要としないために、低エネルギー消費の情報処理を実現する上で不可欠な技術です。そこで注目されるのは、単層で作動する構造的に単純なホール素子を用いたメモリであり、異常ホール効果(図11)を利用した電力の散逸を大幅に削減した新しいメモリ機構です。

 ''Anomalous Hall effect and spontaneous anomalous Hall effect without dipolar order.''

図11 A) 強磁性体における異常ホール効果。自発磁化によってゼロ磁場でホール効果が自発的に現れる。B)スピンの秩序を伴わないホール効果。ゼロ磁場の自発磁化のない状態においてもホール効果が自発的に現れることから、スピンのカイラリティの秩序化が起源として考えられる。

この新しいメモリ機構の候補として、以前、我々のグループが発見したゼロ磁場かつ磁化のない状態で自発的に現れるホール効果(自発的ホール効果)([5], 詳細はこちら)を利用したものがあります。自発的ホール効果は、エネルギー損失や発熱がなく、従来の異常ホール効果を凌ぐ大きな信号が弱磁場で得られるなどの長所があります。しかし、自発的ホール効果が現れる機構は分かっておらず、不揮発性メモリの基盤的な技術の開発が求められていました。
今回、我々の研究グループとゲッティンゲン大学の研究グループが共同で、自発的ホール効果を示すPr2Ir2O7の純良単結晶を用いてその磁気熱量効果を測定したところ、高温超伝導体でも見られる物質の特異な性質である量子臨界現象をゼロ磁場で発現することを発見しました。この量子臨界性は、巨大な自発的ホール効果が見られるキラルスピン液体相の周りでのみ発現していることから、自発的ホール効果の発現機構に重要な役割を担っていることが期待されます。
本成果は、不揮発性メモリを用いた低エネルギー消費の情報処理を実現する上で新たな指針となることが期待されます。本研究成果は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業さきがけの一環として行われ、2014年3月16日(英国時間)の英国科学誌『Nature Materials』オンライン版で発表されます。
【発表内容】
①研究の背景と経緯
磁性体において、原子の位置やスピンの方向などは常に熱的に揺らいでいます。一方、温度を下げて絶対零度に近づけると、その熱揺らぎは消失し量子揺らぎのみが存在することが知られています。通常の相転移は熱揺らぎを媒介として、有限温度で起こります。一方、圧力、磁場などのパラメータを変化させることによって、絶対零度で相転移を引き起こすことが出来ます(図12)。

''Phase diagram of strongly correlated electron systems.''

図12 強相関電子系の温度対パラメータの相図。
このような相転移は、量子揺らぎを媒介として現れ、量子相転移と呼ばれます。その量子相転移点近傍では量子揺らぎのため異常な磁性や金属状態を示します。銅酸化物系や鉄砒素系の高温超伝導や、重い電子系と呼ばれる強相関電子系での非従来型超伝導がその例です。これらは量子臨界点近傍の異常な金属状態から発生し、その量子臨界性との関連は固体物理において最も重要なテーマのひとつです。また、その特異な臨界現象は固体物理に限らず、量子情報など、さまざまな分野で研究が行われています。
量子臨界現象の研究は、重い電子系と呼ばれる物質群において集中的に行われてきました。そこでは、圧力や磁場などといったパラメータを変化させることにより、磁気秩序状態が絶対零度に抑えられ、量子臨界性の発現とともに、非従来型の超伝導など新しい相が現れることが知られています(図12)。 今回、我々のグループとゲッティンゲン大学の研究グループは共同で、パイロクロア磁性体Pr2Ir2O7のスピン液体状態で現れる巨大な自発的ホール効果の発現機構を調べるために、量子臨界性の有無を明らかにする実験研究を行いました。この物質ではPrが四面体を組み、Prの持つ磁気モーメント間の相互作用がスピンアイス(図13) という幾何学的にフラストレートした状態にあります(図14B)。

''Water ice and spin ice, 2-in 2-out ice rule.''

図13 A) 氷(アイス)と B) スピンアイスの図。氷におけるプロトン変位とスピンアイスにおける磁気モーメントは1対1に対応しており、ともに2-in 2-outのアイスルールを満たす。

''A) Scalar spin chirality. B) Crystal structure of Pr2Ir2O7 and its frustrated spin structure. ''

図14 A) 3つの隣接する非共面な配置をとるスピンによって、スカラースピンカイラリティkijk = SiSj×Skが定義される。B) Pr2Ir2O7の結晶構造。Pr原子(赤丸)とIr原子(緑丸)はそれぞれパイロクロア格子を組む。Prモーメントは各四面体の重心方向に向くか、それとは反対方向に向くかの2通りの自由度しかもたないイジングスピンである。青と赤の矢印で示されるモーメントを持つPr原子の位置は、零磁場では青の矢印の向きが安定で、二つのスピンが内向き、二つのスピンが外向きという、所謂、スピンアイス則を満たす。[111]方向の磁場中ではメタ磁性転移を経て赤色の矢印の向きが安定化する。
その結果、基底状態は磁気秩序状態を持たず、スピン液体であると考えられています。そして、この液体状態は自発的ホール効果を示し、スピンキラリティ(スピンカイラリティ)が有限の値を取っているキラルスピン液体と考えられます。本研究では、磁気熱量効果の高精度で詳細な測定を行いました。磁気熱量係数という物理量は量子臨界点において無限大の値に発散することが予想されており、量子臨界性の存在に非常に敏感であることが知られています。
詳細な測定の結果、Pr2Ir2O7の磁気熱量係数は発散することが分かり、量子相転移の存在を示しています(図15)。 また、臨界スケーリングという解析を行い、量子臨界点の位置を調べた所、ゼロ磁場が臨界点であることが分かりました(図16)。 つまり、この物質はゼロ磁場で、全くパラメータを調整することなく、量子臨界点に位置していることが明らかになりました。

''Temperature dependences of magnetic grueneisen ratio of Pr2Ir2O7. ''

図15 Pr2Ir2O7における磁気グリュナイゼン比(磁気熱量係数)ΓHの温度依存性。ΓHが磁場の減少にともない、発散的な振る舞いを見せる。

''Critical scaling of magnetic grueneisen ratio of Pr2Ir2O7. ''

図16 Pr2Ir2O7における磁気グリュナイゼン比(磁気熱量係数)ΓHの臨界スケーリング。この解析からゼロ磁場が臨界点であることが示された。

②今後の展開
今回、Pr2Ir2O7という巨大な自発的ホール効果を示すキラルスピン液体状態が実現している物質において量子臨界性を発見しました。我々が発見した臨界性は従来の磁性の枠組みでは説明できず、新たな理論が必要となります。これまでの量子臨界性の実験研究では、量子臨界点を実現するためには、磁場、圧力などのパラメータを精密に調整する必要がありました。しかし、この物質はゼロ磁場での量子臨界性を示しており、全くパラメータの調整を必要としていません。この事実は、幾何学的フラストレーションのために現れた量子臨界性のもとに、キラルスピン液体とその異常ホール効果が発現していることを示しています。
また、Pr2Ir2O7におけるキラルスピン液体は、スピンアイスというフラストレートしたスピン状態から実現しています。スピンアイスはこの自発的ホール効果のみならず、量子スピン液体やモノポールなどに代表される興味深い量子磁性現象の宝庫であり、この量子臨界性という顕著な性質の発見は、この物質群の実験、理論研究の更なる活発化を促すと期待されます。 この成果は、上記の新しい自発的ホール効果、また、それを用いた今後のホール素子に基づくメモリ機構の開発のための重要な一歩となると期待されます。さらに、スピンアイスという新しい磁性現象で現れた量子臨界現象の研究は、量子スピン液体という新たな磁性体を理解するうえでも、今後さらなる重要な知見を与えることが期待されます。
なお、本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)の「新物質科学と元素戦略」研究領域(研究総括:細野 秀雄 東京工業大学 フロンティア研究センター/応用セラミックス研究所 教授)における研究課題「スピンのナノ立体構造制御による革新的電子機能物質の創製」(研究代表者:中辻 知)の一環として行われました。

[7]Y. Tokiwa, J. J. Ishikawa, S. Nakatsuji, and P. Gegenwart, Nature Materials 13, 356-359 (2014).

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次世代デバイス開発の扉を開く電子構造を発見~トポロジカルな舞台での「強相関スピントロニクス」時代の幕開けへ~

【発表のポイント】
・ 強い電子相関(強相関、注1)を兼ね備えて発現するトポロジカル絶縁体(注2) やワイル半金属(注3)の母体電子構造を発見。
・ 放射光を用いた光電子分光(注4)による運動量空間(フェルミ海、注5)全域 測定に基づく。
・ 理論予想を裏付ける特異な電子構造の発見であり、次世代デバイス開発への鍵 となる「強相関スピントロニクス」の飛躍的進展が期待される。

【概要】
シリコンデバイスの微細化と性能限界の問題が目前になり、次世代デバイスの台頭が待たれています。電子の自由度の1つである電荷を操る「エレクトロニクス」で繁栄した人類をさらに飛躍させる未来型デバイス開発の鍵として、電子が持つもう1 つの性質であるスピンをも制御する「スピントロニクス」が注目されています。しかしながら、一般的な物質では、そのスピンの回転軸の向きと電子の運動する方向とは無関係でばらばらであるため、デバイス応用に困難を伴います。一方、近年発見された「トポロジカル絶縁体(2007 年発見)」や「ワイル半金属(今年発見)」と呼ばれる新奇物質群では、電子の運動方向に付随してスピンの向きが自発的に決まる、つまりスピンの向きが揃った状態である純スピン流が流れており、その特性を活かすデバイス応用が期待されています。 東京大学物性研究所の近藤猛准教授、中辻知准教授、辛埴教授らの研究グループは、既存のトポロジカル絶縁体やワイル半金属と、電子同士の強い相互作用(強相関)を組み合わせることで、更なる新機能を持たせる物質開発に着手しています。今回、豊田工業大学物質工学分野の松波雅治准教授、大阪大学大学院生命機能研究科の木村真一教授、高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所の小野寛太准教授、組頭広志教授らと共同で、その未踏の物質開発の扉を開く電子状態を、イリジウム酸化物(注6)で発見しました。本来は反発し合う荒くれ者である強相関電子たちを手なずける指針が整ったことで、新奇なトポロジカル状態を舞台とする「強相関スピントロニクス」の新時代到来が期待されます。 この研究成果は、Nature Communications 誌 (12 月7 日午前10 時:日本時間 12 月7日午後7 時) に掲載されます。
【発表内容】
これまでの新物質開発は、主に2つの観点から取り組まれてきました。一つは、強い電子相関を基軸に発現させる物性で、最たるものは高温超伝導や、巨大磁気抵抗効果などがあり、現在も物性物理分野の中心的課題です。もう一つは、強いスピン-軌道相互作用に起因する電子物性で、最近のトポロジカル絶縁体やワイル半金属の発見を機に、現在猛烈な勢いで世界的研究が行われています。本研究で対象としたイリジウム酸化物は、この2つを兼ね備える性質を持つため、次なるターゲットとなる新しい研究分野です。 本研究グループは、あらゆる波長(色)の光が束となった放射光を利用する光電子分光法によって、イリジウム酸化物内の電子を運動量空間(フェルミ海)で隈無く探索しました。その結果、フェルミ海の中心一点でのみ海面に顔を出す放物型の電子構造(注7)を発見しました(図17)。これはトポロジカル理論を駆り立てる宝庫とも言える構造で、そこに歪みを加えて空間対称性(注8)を破ればトポロジカル絶縁体に、また、磁場を加えて時間対称性(注9)を破ればワイル半金属に変化するなど、純スピン流を流す様々な量子現象を発現させる上での起点となる母体となる電子状態です(図17)。この成果は、最近急速に理論研究が進展する中、実験による検証が欠如していたため、強く待ち望まれていました。理論予想を裏付ける特異な電子構造が今回発見されたことで、「強相関スピントロニクス」時代の幕開けに向けて、強相関かつトポロジカルな物質群を対象とする研究が、理論と実験の両面から加速することが今後期待されます。 なお、本研究は、国家課題対応型研究開発推進事業 「光・量子融合連携研究開発プログラム」における研究課題「極限レーザーと先端放射光技術の融合による軟X 線物性科学の創成」(研究代表者: 辛埴)、及び、JST戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)の「新物質科学と元素戦略」研究領域(研究総括:細野 秀雄 東京工業大学 フロンティア研究センター/応用セラミックス研究所 教授)における研究課題「スピンのナノ立体構造制御による革新的電子機能物質の創製」(研究代表者:中辻 知)からの支援のもと行われました。また、日本学術振興会の戦略的国際研究交流推進事業「頭脳循環を加速する戦略的国際研究ネットワーク推進プログラム」における事業課題「新奇量子物質が生み出すトポロジカル現象の先導的研究ネットワーク」(主担当者:瀧川仁 東京大学物性研究所 所長)の助成を通して、海外の研究者との交流により研究指針を展開させていった中で得られたものです。

図17 物質内には実世界(位置座標空間)とは異なるフェルミ海(運動量空間)が存在する。海面に顔を出す島(電子構造)が物質の電子物性を担うため、その形状を同定することが物質開発において極めて重要となる。本研究では、強い電子-電子相互作用(強相関)を持つイリジウム酸化物で、その海面に一点のみで顔を出す特異な放物型電子構造の直接観察に成功した。この特異点は空間対称性と時間対称性に保護されており、トポロジカル相への母体電子状態となる。空間対称性を破ればトポロジカル絶縁体に、また時間対称性を破ればワイル半金属に変化することが理論的に示されている。

【発表雑誌】
雑誌名:『Nature Communications』(2015)12 月7 日(月)
論文タイトル:“Quadratic Fermi Node in a 3D Strongly Correlated Semimetal”著者:Takeshi Kondo, M. Nakayama, R. Chen, J.J. Ishikawa, E.-G. Moon, H. Kanai,Y. Nakashima, T. Yamamoto, Y. Ota, W. Malaeb, Y. Ishida, R. Yoshida, H. Yamamoto,M. Matsunami, S. Kimura, N. Inami, K. Ono, H. Kumigashira, S. Nakatsuji, L. Balents,and S. Shin
【用語解説】
(注1) 電子相関:マイナス電荷を持つ物質内電子たちが、クーロン反発でお互いに力を影響し合う関係。機敏に電子が動く一般的な金属では、各電子の周りから他の電子がクーロン反発を逃れて動き、プラス電荷を持つ残った原子核に電子は瞬時に取り囲まれる。この遮蔽によって、周囲へ及ぼすクーロン力を弱めた電子は、あたかも孤立した自由粒子のように振る舞う。一方、遷移金属や希土類で構成される物質内の電子は、特定の軌道に運動が制限されて遮蔽が不完全となる。その結果、電子同士のクーロン反発が無視できなくなり、強い電子相関が生じる。
(注2) トポロジカル絶縁体:物質内部は絶縁体で電気を通さないが、表面は電気を通す物質である。幾何学的(トポロジー)概念を用いてその電子状態が記述分類されるためトポロジカル絶縁体と呼ばれる。2005 年に理論的提唱がなされ、2007 年に実験で確認された。トポロジカル絶縁体の伝導表面では、電子スピンの向きが運動方向に対して垂直に固定されるため、スピン流が流れる。しかも、相対論的粒子として質量ゼロで伝導し、かつ不純物に邪魔されにくい性質を持つため、超高速かつ低消費電力でのデバイス応用が見込まれる。
(注3) ワイル半金属:電子スピンが質量ゼロで物質中を流れる物質。表面電子が2次元的なスピン流を生むトポロジカル絶縁体とは対象的に、ワイル半金属では3次元的にスピン流が流れる。名前の由来は、ヘルマン・ワイルが提唱したワイル方程式に従って電子状態が記述されることと、限られた数の電子のみが金属伝導に寄与する「半金属」的な性質から来る。ワイル半金属の物質内では、上向きと下向きのスピンが同じ運動量を持つ状態(ワイル点)が、磁石の「N 極」と「S 極」に相当する2点の対として発生している。今年、ヒ素化タンタル(TaAs)の結晶中にその存在が初めて発見され、大きく注目されている。
(注4) 光電子分光:物質に光を照射して飛び出す電子(光電子)を観察することで、物質内の電子状態を観察する実験手法。光が伝搬する波であると同時に粒の集合体であるとして、光の概念を覆したアインシュタインの発想(1921 年のノーベル賞受賞理由)に基づく。
(注5) フェルミ海:実世界(位置座標空間)で見ると複雑にうごめく膨大な数の物質内電子も、背後で周期的に配列する原子核上を伝導することを許す運動量しか持ち得ないことから、運動量空間で眺めてやるとすっきりと整理される。運動量空間において一つの座標を占有できる電子数は2つまでと量子力学的に制約されるため、エネルギーの低い運動量座標から順に物質内電子を詰めて行くと、やがてその最高エネルギーが定まる。これをフェルミエネルギーと呼び、海面との比喩から、電子の詰まった運動量空間を‘フェルミ海(Fermisea)’と呼ぶことがある。物質の電子物性はこの海面近傍の電子が担うため、海面に浮かぶ島(電子構造)の形状が物質の個性を決めると言ってよい。本研究では、トポロジカル理論を駆り立てる宝庫とも言える、一点のみが海面上に顔を出す放物型電子構造をイリジウム酸化物で発見した(図1)。
(注6)イリジウム酸化物:物質開発におけるこれまでの主な舞台は、電子相関とスピン軌道相互作用のどちらか一方を有する物質群にあった。強い電子相関と強いスピン軌道相互作用の両者を兼ね備えた電子系は未開拓であり、新奇なトポロジカル量子相が理論予想されることからも、次なるフロンティアとして注目されている。その候補として、5d 軌道を有する遷移金属イリジウム酸化物が期待されている。3d,4d,5d へと電子軌道が広がると電子相関は弱くなるが、一方で、原子量の増大によりスピン軌道相互作用が強くなる。電子相関とスピン軌道相互作用の両者が同程度のエネルギースケールを持って競合するイリジウム酸化物5d 電子系は、今大変注目される新しい研究分野である。
(注7)電子構造:物質中の電子が持ちうるエネルギーと運動量の関係を運動量空間で描いた模様。物質を構成する元素の種類と、その元素が物質内で配列される位置関係で決まり、あらゆる電子物性を司る構造である。
(注8)空間対称性:空間の幾何的変化に対して物理法則(電子の振る舞い)が変化しないこと。元素が周期的に配列して形成される物質(結晶)の中を伝搬する電子の振る舞いを規定する重要な概念となる。今回の研究対象であるイリジウム酸化物は、立方晶と呼ばれる結晶構造を持っており、フェルミ海面の一点で顔を出す特異な電子構造が、この結晶対称性によって保護されている。
(注9)時間対称性:時間の変化(並進や反転)に対して物理法則(電子の振る舞い)が変化しないこと。電子がある方向の磁場を感じつつ伝搬する時、時間反転対称性が破れる。

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磁石の磁場に対する新しい応答を発見

【発表のポイント】
・磁性体は通常外からかけた磁場と同じ方向に磁化をしめす。今回我々はそれとは垂直な方向に磁化を示す「垂直磁場」を世界で初めて観測した。
・この垂直磁場は磁性体の磁気八極子秩序から発生しており、これが金属絶縁体転移を示す起源であることもわかった。
・今回の新たな金属絶縁体の発現機構の発見により、それを応用したメモリなどへのデバイス材料探索が進展することが期待される。また垂直磁化という新しい物質の性質は全く新しい機構の磁気センサなどへ応用の可能性を秘めている。

【概要】
磁性体は外から与えた磁場と同じ方向に磁化すると古くから知られてきました。しかし熱力学的にはそれとは垂直方向にも磁化が発生することが期待されます。この「垂直磁化」は非常に小さいためこれまで実験的に見つかってきませんでした。 今回我々はパイロクロア型イリジウム酸化物Eu2Ir2O7のトルク磁化測定を行なうことによって、この垂直磁化を実験的に初めて発見しました。この垂直磁化はEu2Ir2O7が金属から絶縁体に変化する温度で急激に増大しており、金属絶縁体転移の起源になっていると考えられます。この発見は金属と絶縁体を制御する新しい指針になり、大きな抵抗変化を利用したメモリなどへの応用が期待されます。さらに垂直磁化という磁性体の全く新しい磁場応答は、磁気センサなどへの応用の可能性を秘めています。  この成果は英国科学誌「Nature Physics」で公開されます(2017年2月27日オンライン版掲載)。
【発表内容】

19世紀に電磁気学が体系化されて以後、磁性体の磁場に対する応答は様々な物質・手法により数多くの研究がなされてきました。しかしそれらは全て外から加えている磁場(印加磁場)と同じ方向の磁化を観測するものでした。熱力学的には自由エネルギーを磁場の3次の項まで摂動展開することによって、印加磁場と垂直方向に現れる「垂直磁化」が現れることが期待されます。しかし、この値は非常に小さいため実験的に検出されたことはありませんでした。今回研究グループはこの垂直磁化を実験的に世界で初めて検出することに成功しました。

実験には金属絶縁体転移を示すパイロクロア型イリジウム酸化物Eu2Ir2O7 という磁性体が用いられました。金属絶縁体転移とは、磁場や温度を変化させると電気抵抗が数桁変化する現象であり、その著しい変化から産業的な応用性が高く期待されています。この現象は物質中の電子間相互作用やバンド構造に密接に関係して引き起こされると考えられています。強い電子相関とトポロジカルなバンド構造を持つパイロクロア型イリジウム酸化物 R2Ir2O7 (R :希土類元素)はまさにその代表例であり、近年精力的に研究が進められています。

 その中でもEu2Ir2O7 はユーロピウム(Eu)という磁性を持たない希土類元素を持ち、イリジウム(Ir)の作る特異なバンド構造が引き起こす物理の研究に理想的な物質です。これまでの研究で、この物質は試料を純良化すると120 Kで磁気秩序(図18 (a))を伴う金属絶縁体転移を示すことがわかってきました。しかし金属絶縁体を引き起こす磁気秩序の詳細については謎のままでした。

 今回研究グループはEu2Ir2O7のトルク磁化測定(図18 (b))を行うことで磁気八極子が120 K以下で整列していることを明らかにしました。Eu2Ir2O7 のトルク磁化の奇関数成分には磁場によらない成分の他に、磁場の2乗に比例する成分を見出しました。この2乗に比例する成分は垂直磁化によるもので、磁気八極子を意味しています。垂直磁化は金属絶縁体転移温度以下で急激に大きくなることから、金属絶縁体の原因になっていると考えられます。図18 (c) は磁場中で回転させたときの垂直磁化です。磁気八極子の形状は四つ葉のクローバー型になることが期待されますが、実験結果は歪んだクローバー型(蝶々型)になっていることがわかります。これは磁気八極子とは別の秩序が存在していることを意味しています。この新しい秩序は低温だけでなく室温でも存在しており、今後のさらなる研究によって正体を明らかにする必要があります。

 本研究で初めて見つかった垂直磁化は磁性体の新しい磁場応答として今後さらに研究が進められることが予想され、将来的には新たな磁気センサなどへ応用される可能性を秘めていると考えられます。また金属絶縁体転移の起源が明らかになったことは次の物質設計の指針になり、今後大きな抵抗変化を利用したメモリなどへの応用が期待されます。

なお本研究はJSPS科研費 15H05883(J-Physics:多極子伝導系の物理)の支援を得て行われました。


図18 (a) Eu2Ir2O7の磁気秩序。オール・イン-オール・アウト(all-in all-out)と呼ばれ、正四面体上のスピンは全て内向きまたは外向きに整列している。(b)トルク磁化測定のセットアップ。カンチレバー(薄い板)がたわむことにより磁場中で回転する力(トルク磁化)を検出する。 (c)Eu2Ir2O7 の垂直磁化。

【発表雑誌】
雑誌名:『Nature Physics』(2017) 2月27日
論文タイトル:“Orthogonal magnetization and symmetry breaking in pyrochlore iridate Eu2Ir2O7l”著者:Tian Liang, Timothy H. Hsieh, Jun J. Ishikawa, Satoru Nakatsuji, Liang Fu and N. P. Ong

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ここではパイロクロア型イリジウム酸化物における、 金属スピン液体もしくは金属スピンアイス状態の可能性と、新しいタイプの異常ホール効果について紹介します。

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