磁気モノポールの量子ダイナミクスの発見

1. 発表概要

 電子は"スピン"と呼ばれる微小な磁石としての性質を有しており、その性質を活かした"スピントロニクス"が次世代デバイスのキーテクノロジーとして注目を集めています。このスピンは、必ずS極とN極がペア(磁気双極子)を形成していることが古くから知られてきましたが、近年、スピンアイスと呼ばれる特殊な磁性体において、熱揺らぎの効果としてN極またはS極のどちらかのみを持つ磁石(磁気モノポール)として振る舞うことが理論と実験の両面から明らかになってきました。この磁気モノポールは、電流を必要とせずにスピンを運ぶことが出来るため、それを自在に制御できればより低損失なスピントロニクスの構築に繋がると考えられます。しかし、この磁気モノポールの運動は熱拡散的でランダムであり、その制御は困難と考えられてきました。

 今回、東京大学物性研究所(所長 瀧川 仁)の中辻 知准教授を中心とする研究グループは、名古屋大学、ジョンズ・ホプキンス大学、オークリッジ国立研究所と共同で、スピンアイス関連物質のPr2Zr2O7という新しい磁性体において、磁気モノポールが半導体中の電子のように量子力学的運動(注1)を行うことを見出しました。これは、磁気モノポールの持つN極、S極の情報を無散逸に伝送できることを意味しています。さらに、こうした量子力学的運動は特定の法則に従うため、この法則を解き明かすことで磁気モノポールを自在に制御できるようになると考えられます。本研究では、磁気モノポールを利用した省エネルギーのスピントロニクスの可能性を実験的に提示することに成功しました。この成果は、スピンのナノ立体構造の制御による新しい不揮発性メモリ材料の開発等に新たな指針を与えると期待されます。

2. 発表内容

研究の背景と経緯

 現代社会を支える半導体エレクトロニクスは、電子の持つ"電荷"という属性を巧妙に操ることで実現しています。一方、電子は"スピン"と呼ばれる微小な磁石としての性質も兼ね備えており、その性質を活かした"スピントロニクス"が次世代デバイスのキーテクノロジーとして注目を集めています。このスピンは、必ずS極とN極がペア(磁気双極子)を形成していることが古くから知られてきましたが、21世紀に入り、パイロクロア構造(注2)を持つスピンアイスと呼ばれる磁性体(注3)において、スピンの熱励起があたかもN極とS極のみを持つ磁石、すなわち磁気モノポール(注4)のように振る舞うことが明らかになってきました。この磁気モノポールは、固体における新種の素励起であるだけでなく、高エネルギー物理におけるモノポールとの関連からも、大きな学問的関心が寄せられてきました(注5)。さらに、電流を必要とせずにスピンを運ぶという磁気モノポールの性質により、従来のスピントロニクスで課題となっていたスピン輸送に伴う熱の損失が発生しないため、より低損失なスピントロニクスの構築に繋がると考えられます。しかし、従来型のスピンアイスでは、磁気モノポールの運動はランダムであり、その制御は困難と考えられてきました。こうした背景から、モノポールの運動を規定するミクロなルールを内包する新しいスピンアイス物質の発見が強く望まれてきました。

研究内容

 東京大学物性研究所・中辻 知准教授を中心とする研究グループは、 これまで、スピンのナノ立体構造を制御することで現れる新しい量子現象、特にメモリ効果を伴う量子伝導効果の研究を進めてきました。そのなかで、パイロクロア磁性体Pr2Ir2O7の磁性を担う3価のプラセオジウムイオン(Pr3+)がアイスルールに従うスピン配列を示すこと、さらには、従来型スピンアイスには無いスピンの量子的な揺らぎにより、不揮発メモリ効果を持つホール効果を発現することを見出してきました。ごく最近の理論は、量子揺らぎによりモノポールが電子のように量子力学的運動をすることを予言しています。Pr2Ir2O7はこの予言を検証する良い候補物質と言えますが、精密な物性測定に必要な大型単結晶が得難いという問題を抱えていました。そこで本研究では、Pr2Zr2O7という新しいPrベースのパイロクロア磁性体に着目し、2000度を超える超高温環境を作り出すことにより大型の人工単結晶の合成に成功しました。そして、この単結晶を特殊な冷凍機を用いて絶対零度近傍まで冷却し、磁気的な性質を詳細に調べました。

 その結果、磁性を担うPrイオンは、従来型スピンアイスと同様に正四面体の内側と外側のいずれかを向くイジング的磁気モーメント(スピン)を持つことが分かりました。また、外部振動磁場に対するスピンの振る舞いも従来型スピンアイスと良く似ており、その温度依存性は磁気モノポール密度の温度変化という観点で説明できます。こうした結果を踏まえて、より詳細かつ直接的にスピンの性質を検出するため、ジョンズ・ホプキンス大学(米国)ブロホルム教授グループとの共同研究により絶対零度近傍での中性子散乱実験を行いました(図1)。この測定では、スピン集団の時間平均的な配列情報(弾性散乱)と集団運動の様子(非弾性散乱)を得ることができます。測定の結果、Pr2Zr2O7のスピンは、スピンアイスで期待されるアイスルール(注3)と呼ばれる規則に従って配列していることが分かりました(図1A)。大変興味深いことに、従来型スピンアイスとは異なり、Pr2Zr2O7のスピンは絶対零度低温近傍にも関わらず凍結せず、量子的に揺らいでいることを突き止めました。さらに、励起状態ではアイスルールが破れており、磁気モノポールが存在していることを見出しました(図1B)。以上から、励起状態におけるモノポールは、量子揺らぎを駆動力としたコヒーレントな集団運動を行っていると考えられます。今回の発見は、東京大学物性研究所、名古屋大学、ジョンズ・ホプキンス大学、米国オークリッジ国立研究所の共同研究によるもので、2013年6月17日(英国時間)の英国科学誌『Nature Communications』オンライン版に掲載されます。

今後の展開

 今回、Pr2Zr2O7という新しい磁性体を用いて、マイナス273度という絶対零度近傍において磁気モノポールがコヒーレントな量子運動を行うことを突き止めました。これは、磁気モノポールの持つN極、S極の情報を無散逸に伝送できることを意味しています。このモノポールは、熱拡散的なランダムな運動を行う従来型スピンアイスのモノポールとは異なり量子力学のルールに従って運動するため、その運動法則を解き明かすことで自在に制御することが可能と考えられます。今後は、量子モノポールの詳細を明らかにするために、伝達距離や伝達速度、さらには、磁場などの外部刺激に対する応答を精密に調べる必要があります。量子モノポールの形成メカニズムと制御方法が解明できれば、磁気モノポールを利用したスピントロニクスの可能性が拓けます。さらに、今回の成果は、東京大学物性研究所・中辻 知准教授を中心とする研究グループが以前発見した姉妹物質Pr2Ir2O7における省エネルギー不揮発メモリ効果を持つホール効果を解明するうえでも、さらには、それを発展させたスピンのナノ立体構造の制御による新しいホール効果の発現機構の解明をするためにも重要な知見を与えるものと期待されます。

k-space mapping of neutron diffraction of Pr2Zr2O7.

図1. 絶対零度近傍(約マイナス273度)における (A) 弾性中性子散乱および (B) 非弾性中性子散乱の波数空間強度マップ。弾性散乱マップの(002)や(111)で見られる特徴的パターンはピンチポイントと呼ばれており、Pr2Zr2O7においてアイスルールが存在する証拠を与える。一方、非弾性散乱マップではピンチポイントが消失しており、励起状態においてアイスルールが破れ、磁気モノポールが出現していることを示している。こうした非弾性散乱成分は量子揺らぎを持たない従来型スピンアイスでは存在せず、Pr2Zr2O7が量子揺らぎを持つ新しいスピンアイスであることを直接的に示している。

3. 用語解説

(注1)量子力学的運動
 電子は量子力学的に波動としての性質を持っており、その運動は波動のもつ波数とそのエネルギーの関係で記述できる。モノポールも量子的な場合は、このような波数とエネルギーの関係に従う(コヒーレントな)運動により記述される。

(注2)パイロクロア構造
 図2のように、正四面体が頂点共有して3次元的ネットワークを形成した構造をパイロクロア構造と呼ぶ。パイロクロア磁性体では、磁性イオンが各正四面体の頂点に位置する。

Pyrochlore structure.

図2. パイロクロア構造。

(注3)スピンアイスとアイスルール
 常圧において氷はパイロクロア格子構造をとり、H+イオンが正四面体の頂点から少し変位する。その変位の向きは、図3A に示すように2-in 2-outの構造をとりアイスルールと呼ばれる。これは共有する2つの正四面体の中心に位置するO2-イオンのうち、どちらの向きに水素結合を形成するかによって決まっている。同様な状況は、H+イオンの変位を上下方向にしか向かないイジングスピンに置き換えたスピンアイスと呼ばれる磁性体にも現れる(図3B)。すなわち、四面体の各頂点にその重心方向に向いたイジングスピンを配置し、それらの間に強磁性の相関を考えると、イジングスピンは上記の2-in 2-outの構造をとりアイスルールを満たす。

Ice and Spin ice, 2-in 2-out ice rule.

図3. (A) 氷(アイス)と (B) スピンアイスの図。氷におけるプロトン変位とスピンアイスにおける磁気モーメントは1対1に対応しており、ともに2-in 2-outのアイスルールを満たす。

(注4)スピンアイスの磁気モノポール
 スピンアイスでは、スピンフリップによりアイスルールが破れると正四面体内にプラス(N極)とマイナス(S極)のモノポールペアが生じる。スピンアイスにおける最低エネルギー励起はこのペアの分離化であり、これらは磁気的なクーロン引力を感じながら、磁気モノポールとして独立に運動する(図4)。従来型スピンアイスにおける磁気モノポールは、熱拡散によるランダム運動を行うことが知られている。一方、今回我々が発見したスピンアイスPr2Zr2O7における磁気モノポールは、量子揺らぎにより、電子のようにコヒーレントな量子力学的運動(注1)を行っていると考えられる。

Magnetic monopoles in spin ice.

図4. スピンアイスにおける磁気モノポール。ゆらぎの効果によるスピンフリップによって生成されたモノポールペアが独立に運動し、磁気モノポールとして振る舞う。

(注5)高エネルギー物理における磁気モノポール
 電場と磁場の対称性から、電荷に対応する磁荷、すなわち磁気モノポールが存在するはずだという考えは古くからあった。現在の大統一理論によると、宇宙初期の高エネルギー状態では磁気モノポールが存在していたと考えられており、その名残を観測しようという試みが長年なされてきたが、成功には至っていない。スピンアイスにおける磁気モノポール(注4)は、高エネルギー物理分野で長年探索されてきた素粒子と酷似した性質を持つ素励起であり、それゆえ固体物理学者や高エネルギー物理学者を中心に大きな注目を集めている。

[1] K. Kimura, S. Nakatsuji, J. -J. Wen, C. Broholm, M. B. Stone, E. Nishibori, and H. Sawa, Nature Communications 4, 1934 (2013).

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結晶構造の乱れによる量子スピン液体的状態の実現 −新しいスピントロニクス、量子コンピュータへの応用に期待−

1. 発表概要

 水を冷やすと氷へと固化するように、通常の磁性体を絶対零度まで冷やすと、スピンは向き の決まった固体状態となります。一方、最近の磁性体の研究において、スピンを特殊な配置に 並べることにより、低温においても量子揺らぎのためにスピンが固化せずにいつまでも液体の 状態が保持されるという奇妙な状態が実現することが理論的に予言され、量子スピン液体とし て大きな注目を集めています。しかし、このような量子スピン液体状態は一般に不安定であり、 磁性体の結晶構造の僅かな乱れによってスピンはガラス状態へと凍結すると考えられてきまし た。今回、東京大学物性研究所(所長 瀧川 仁)の中辻 知教授らの研究グループは、大阪大学、 スタンフォード大学、ジョンズ・ホプキンス大学、米国国立標準技術研究所と共同で、パイロ クロア格子(注2、図1)を持つ量子スピンアイス(注3、図2)磁性体 Pr2Zr2O7に対する中性子散乱実験およびモデル解析を行い、従来の定説に反して構造の乱れが量子揺らぎを増強す ることによって量子スピン液体状態を安定化する場合があることを見出しました。この成果は、 量子スピン液体状態を示す物質の探索に新たな指針を与えるものであり、その性質の解明に大 きく寄与すると期待できます。
 本研究成果はアメリカ物理学会の速報誌「Physical Review Letters」(3月3日(金)オン ライン版)に掲載される予定です。

2. 発表内容

@研究の背景と経緯
 水を高温から冷却していくと、熱エネルギーによる H2O 分子の運動は徐々に抑制され、気体 (水蒸気)から液体(水)、そして最終的には固体(氷)へとその状態を変えます。同様に、 通常の磁性体を絶対零度まで冷やすと、スピンは向きの決まった固体状態となります。一方、 最近の磁性体の研究において、スピンを特殊な配置に並べることにより、低温までスピンの向 きが決まらずにいつまでも液体の状態が保持されるという特異な状態が現れることが理論的に 予言され、量子スピン液体として大きな注目を集めています。その有力な探索の舞台として知 られているのが、スピンアイスと呼ばれる磁性体の関連物質です。スピンアイスは、パイロク ロア格子上に配置されたイジングスピン(注3)が、スピンに平行方向の強磁性相互作用のみ を持つ場合に現れる古典的な磁気状態で、巨視的縮退(注4)を残したままスピンが凍結する という特異な性質を持ちます。さらに最近では、何らかの方法(例えばスピン垂直方向の交換 相互作用)で量子揺らぎを増強しアイス状態を融解することで量子スピン液体が実現するとい う理論的提案がなされ、これを検証する実験的研究が世界各国で精力的に展開されています。 しかし、これまでにスピンアイスをベースとした量子スピン液体の候補物質はいくつか見出さ れてきましたが、どのような起源で量子スピン液体的な振る舞いが生じているのかは分かって いませんでした。
A研究内容
 本研究グループは、パイロクロア格子上のスピンが示すトポロジカルな量子相の開拓を進め てきました。そのなかで、パイロクロア磁性体 Pr2Zr2O7の磁性を担う 3 価のプラセオジウムイ オン(Pr3+)が、アイスルール(注3、図2.2(a))に従うスピン配列を示すこと(図2.2(b))、さら には、強い量子揺らぎにより最低温においてもスピンが完全には凍結せず量子スピン液体的に 振る舞うこと(図2.2(c))を見出してきました。そこで本研究では、スピンアイス関連物質 Pr2Zr2O7における強い量子揺らぎの起源を調べるため、大型の単結晶試料を合成し、これを用 いて絶対零度近傍(50 ミリケルビン)に至るさまざまな温度および磁場下における高分解能非 弾性中性子散乱実験を行いました。
 その結果、低エネルギー領域において、図2.3(a)に示すような波数に依存する非弾性中性子散 乱パターンが観測されました。過去の研究においても観測されたこのパターンは、本実験で用 いた単結晶においてもスピン間の強磁性相互作用によるスピンアイス相関が存在していること を意味しています。一方、図2.3(c)に示すように、より高いエネルギー領域においては、波数に 依存しない非弾性中性子散乱成分が存在することが新たに判明しました。本物質の磁性を担う Pr3+イオンはノンクラマースイオン(注5)であるため、その磁気的性質は結晶構造の乱れに 極めて敏感です。その結果、理想的なパイロクロア構造における Pr3+イオンは磁気的な二重項 としての性質を有する一方、構造の乱れがある場合はこの二重項が 2 つの非磁性一重項状態に 分裂すると考えられます。波数に依存しない非弾性中性子散乱の存在は、構造の乱れによる二 重項の分裂が生じていることを強く示唆しています。この構造の乱れによる二重項の分裂は、 Pr3+に量子揺らぎを促す実効的な横磁場がかかっているものとして定式化することができます。 そこで、古典スピンアイス状態をもたらす強磁性相互作用に、乱れに起因する実効的横磁場を 加えたスピンモデルを用いて実験結果を解析したところ、全ての実験結果を合理的に説明可能 であることが分かりました(図2.3(b)(d))。このことは、今回用いた試料中に存在する結晶構造 の乱れが、量子スピン液体状態を安定化している可能性を強く示唆しています。
B今後の展開
 今回、スピンアイス関連物質 Pr2Zr2O7において、結晶構造の乱れにより量子スピン液体状態 が安定化している可能性を実験的に見出しました。従来の研究では、構造の乱れはスピンのガ ラス状態への凍結を引き起こし、量子スピン液体の形成を阻害するものと考えられてきました。 この定説に一石を投じる今回の成果は、量子スピン液体を示す磁性材料の開発に新たな指針を 与えるものと期待できます。
今回見出した乱れによる量子スピン液体と、純良試料で期待される量子スピン液体の相違点 を明らかにすることは、量子スピン液体の全容を解明する上で大変重要です。最近の研究によ り、Pr と Zr の組成比を制御することによって、パイロクロア構造の乱れを広範囲に制御でき ることが分かってきました。組成比の精密制御により乱れのより少ない試料を合成し、これを 用いた詳細な物性測定を行うことで、量子スピン液体の理解が飛躍的に向上すると考えられま す。これにより、将来的には、量子スピン液体のエンタングルメントを利用したスピントロニ クス、量子コンピュータの次世代デバイスへの応用に繋がるものと期待されます。
3. 発表雑誌
米国物理学会誌「Physical Review Letters」(オンライン版3月3日予定) 論文タイトル:Disordered Route to the Coulomb Quantum Spin Liquid: Random Transverse Fields on Spin Ice Pr2Zr2O7 著者:J.-J. Wen*, S.M. Koohpayeh, K.A. Ross, B.A. Trump, T.M. McQueen, K. Kimura, S. Nakatsuji*, Y. Qiu, D.M. Pajerowski, J.R.D. Copley, and C.L. Broholm*
4. 発表内容
(注1)量子スピン液体 磁性を担うイオンに束縛された各電子のスピンの向きが、時間的にも空間的にも一定の方向に留ま らず、揺らいでいる状態は、スピン液体と呼ばれている。特に、量子揺らぎのためにスピンが固体 にならず、絶対零度まで液体である場合、量子スピン液体と呼ばれる。
(注2)パイロクロア格子 図2.1のように、正四面体が頂点共有 3 次元的ネットワークを形成した格子をパイロクロア格子 と呼ぶ。理想的なパイロクロア磁性体では、磁性イオンが各正四面体の頂点に位置する。しか し、本研究で用いた Pr2Zr2O7の試料においては Pr3+イオンが理想的な位置からずれており、 これが量子スピン液体を安定化させていると考えられる。
(注3)スピンアイス、イジングスピン、アイスルール 常圧において氷はパイロクロア構造をとり、プロトン(H+)イオンが正四面体の頂点から少し 変位している。その変位の向きは、図2.2(a) に示すように 2-in 2-out の構造をとっており、ア イスルールと呼ばれる。これは共有する2つの正四面体の中心に位置する O2-イオンのうち、 どちらの向きに水素結合を形成するかによって決まっている。同様な状況は、H+イオンの変位 を上下方向にしか向かないイジングスピンに置き換えたスピンアイスと呼ばれる磁性体にも現 れる。正四面体の各頂点にその重心方向に向くイジングスピンを配置し、それらの間に強磁性 の相関を考えると、イジングスピンは氷と同じ 2-in 2-out 状態を取る。
(注4)縮退 1 つの系に同じエネルギーを有する状態が 2 つ以上存在すること。スピンアイスにおいては、 最低エネルギーを持つ 2-in 2-out 状態を満たすスピン配列が無数に存在するため、巨視的縮退 が生じる。
(注5)ノンクラマースイオン 結晶中の磁性イオンには周囲の陰イオンの作る静電場(結晶場)が作用しており、その対称性 が低下するにつれて磁性イオンの電子状態の縮退は解けていく。しかし、奇数個の電子を持つ 磁性イオンの場合、時間反転対称性に基づくクラマースの定理により、結晶場の対称性をどれ だけ下げても外部磁場をかけない限り必ず二重縮退が残る。このような磁性イオンをクラマー スイオンと呼ぶ。この二重縮退はスピンの上向きと下向きの縮退に対応するため、クラマース イオンは一般に磁性を有する。これに対して、クラマースの定理が成立しない偶数個の電子を 持つ磁性イオンはノンクラマースイオンと呼ばれ、結晶場の対称性によっては磁性を持たない 一重項電子状態を取ることがある。そのため、ノンクラマースイオンの電子状態ひいては磁性 は、結晶場の低対称化をもたらす構造の乱れに極めて敏感である。

Pr2Zr2O7_fig2-1

図2.1 パイロクロア構造。

Pr2Zr2O7_fig2-2

図2.2 (a)氷(アイス), (b)スピンアイス, (c)量子スピンアイスの図

Pr2Zr2O7_fig2-3

図2.3 絶対零度近傍(50 ミリケルビン)における非弾性中性子散乱強度マップ (a)(b)低エネルギー領域(0.2 meV)における実験および計算結果。散乱強度は波数に強く依存 し、またそのパターンはスピンアイス相関を持つ磁性体に特有のものである。(c) (d) 高エネルギー領域(0.55 meV)における実験および計算結果。散乱強度は波数に依存しない。

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