■ 反強磁性を用いた不揮発性メモリ(MRAM)の開発

身の回りのスマートフォンやパソコンなどを制御するエレクトロニクスは、電子の有する「電荷」という自由度を制御することで実現しています。 これまで、デバイスの微細化による高速化が急速に進み、その性能が飛躍的に発展してきました。 しかしながら、現在のCPUは依然としてすべてメモリ維持に電力が必用な揮発性メモリを用いています。 これをすべて不揮発性メモリに置き換えることができれば、メモリ維持のための電力所費も大幅に抑えられるだけでなく、データ処理の低速な補助記憶装置が必要なくなり、更なる高速化、省スペース化が可能となります。

そのような状況の中、従来の制御対象であった「電荷」と、電子の持つ「スピン」という自由度を同時に利用した新しいエレクトロニクス技術「スピントロニクス」が、 今まで実現不可能だった機能を持つデバイス作成を実現する可能性から注目を集めています。 1988年に発見された巨大磁気抵抗(Giant Magnetoresistance : GMR)の発見(Fert and Grünbergは2007年にノーベル賞を受賞)以降、スピントロニクス技術を用いたデバイスが数多く開発されてきました。 中でも、精力的に研究が行われているものとして、情報を不揮発に記憶することが可能な磁気抵抗メモリ(Magnetoresistive Random Access Memory : MRAM)が挙げられます。 MRAMは、強磁性層/絶縁層/強磁性層の三層を基本とした強磁性トンネル接合素子を用いたメモリで、トンネル接合素子が有する2つの強磁性層の磁化の向きが平行と反平行の場合とで、抵抗率が異なります。 この性質を利用することで、磁化の方向に対応した二つの状態を二進法のデータ ”1” と ”0” として、エネルギーを消費することなくデータを保持すること(不揮発性)を可能としています。 MRAMをはじめ、現在、スピントロニクスで用いられている材料の多くは強磁性体ですが、最近では、反強磁性体の適用も検討されるようになってきました。 その理由としては、反強磁性体では、(1)磁化がゼロ、あるいは、極端に小さいため、漏れ磁場に強くデータ保持力が高い、(2)スピンの歳差運動の周波数がTHz程度と強磁性体(GHz程度)に比べ桁違いに高く、 格段に速いデータ処理に繋がる、(3)種類が多い、といった特徴から、小型で高速駆動するデバイスを安価に開発できる可能性があるからです。

反強磁性体を用いる上での問題点としては、電気信号の二値性を検出することが難しいことが挙げられます。 しかし、最近では異方的磁気抵抗(Anisotropic Magnetoresistance : AMR)が反強磁性体においても現れることが報告される等、応用を後押しする有益な実験結果が複数報告されています。 我々の研究室においても、反強磁性体のスピン構造の制御や電気信号の二値性を検出する技術の開発を、新物質開発や基礎物性測定といった源流から行っています。


このページのトップへ


研究テーマに戻る



1. 革新的磁気メモリ材料の発見
〜世界で初めて反強磁性体での異常ホール効果を観測〜[1]

<Nature 2015年11月12日号に掲載>

【発表のポイント】


【発表内容】

コンピュータやスマートフォンに通常使われているメモリは、電源オフで記憶情報が失われてしまう揮発性であるため、情報を保持するには電力供給を必要とし消費電力が大きいという欠点があります。そのため、電源オフ状態でも記憶情報が失われない不揮発性メモリの開発が行われており、磁性材料を用いた不揮発性メモリ「磁気メモリ」も実用段階にきています。しかしながら、記憶素子の材料として強磁性体というスピンの向きが揃った、言わば小さな磁石を使っているため、高密度化のためにお互いが近づくにつれ、記憶素子同士の磁気的な干渉が起こることや、スピンの揃いが保てなくなるなど、高密度化に限界があるという問題が実用化促進のうえで大きなハードルとなっています。
一方、記憶情報の読み出し方法としては、強磁性体層—絶縁体層—強磁性体層の3層構造の間の抵抗変化を読み取る方法をとっていますが、構造的に単純な単層で作動し電力の散逸を軽減できるホール効果を利用する方法もあります。ホール効果(図1)とは、物質中に電流として流れる電子が磁場を感じることによって、電流方向と垂直な方向に電圧が生じる現象で、100年以上も前の19世紀後半に発見されています。更に、強磁性体では揃ったスピンが物質内部に磁場を作るため、外から磁場をかけなくてもホール効果が自発的に現れる物質があり、これは異常ホール効果と呼ばれています。しかし、この異常ホール効果で生じる電圧はメモリ素子として利用するには比較的小さかったために、実用的な開発はほとんどされてきませんでした。
最近になり、スピン同士が反平行や、幾つかのスピンで互いに打ち消し合う配置をとる反強磁性体でも、異常ホール効果が起こる可能性が理論的に示唆されてきました。この反強磁性体ではスピン同士が打ち消し合う配置をとるため、スピンが全体で作り出す磁場(磁化)がほとんどなく、強磁性体で問題となっていた漏れ磁場による素子間で干渉する問題は全くなく、強磁性体に比べて高密度化を飛躍的に進めることができます。また、反強磁性体は一般に強磁性体よりも3桁以上の速い動作性能を示すため高速化にも繋がります。しかしながら、これまで反強磁性体での自発的異常ホール効果を示す物質は見つかっていませんでした。

図1.1:ホール効果(a)と自発磁化を持つ場合の異常ホール効果(b)と持たない異常ホール効果(c)
強磁性体における異常ホール効果では、自発磁化の発生とともにゼロ磁場でホール効果が自発的に現れる。スピンの秩序を伴わずゼロ磁場の自発磁化のない状態においてもホール効果が自発的に現れる。この場合、電子の運動を曲げる要因となる仮想的な内部磁場は、スピンキラリティの秩序化によってもたらされると考えられる。

【研究内容】

図2:ホール抵抗率と磁化の磁場変化
温度が200 K(-73℃)300 K(27℃)400 K(127℃)での測定結果で、磁場がゼロのときホール抵抗率が有限な値を持ち、自発的な異常ホール効果を示すことがわかる(a)。また、磁場が数百ガウスの値でホール抵抗率と磁化の符号が反転している(b)。

東京大学 物性研究所の中辻 知 准教授らの研究グループは、これまでも非常に低い温度ではあるが磁気秩序なしに自発的に現れるホール効果を示す物質の発見や、その機構解明につながるような学術的な成果を上げてきました。今回、その一連の物質探索の中で、マンガンとスズの化合物であるMn3Snが、反強磁性体でありながら室温で自発的な巨大異常ホール効果を示すことを世界で初めて発見しました。この自発的異常ホール効果によるホール抵抗率は、金属でありながら室温で50nmの薄膜において1オームを凌ぐ値であり、実用材料として有効と考えられます図2a)。

図3:Mn3Snの結晶構造(a,b)と磁気構造(c)
マンガンMnは正三角形の頂点に位置し、Mnのスピンは正三角形の一辺に沿って配置されておりお互いは120度ずれている。

Mn3Snはカゴメ格子と呼ばれる結晶構造(図3a、図3b)をとり、磁性イオンであるマンガンは正三角形の頂点を占める位置をとります。このとき、スピンがお互いに反対方向を向こうする力(反強磁性相互作用)が働くと、三角形の3つの頂点の間でその力が拮抗し、最終的にはお互いに120度だけ傾いた状態で安定になります。但し、スピンの向きの取り方には幾つかの種類があり、Mn3Snでは、図3cに示すようなスピン配置をとります。このようにスピンがお互いにキャンセルするような配置をとりますが、外から磁場をかけると僅かに磁化が観測されます。この値は1つのマンガン元素あたり数ミリμBという値で、一般的な強磁性体の1000分の1に相当するような非常に小さな磁化です。それにもかかわらず、磁化測定の結果では、数百ガウスという比較的小さい磁場によってこの非常に小さい値の磁化の反転が見られ(図2b)、それに伴いホール効果の電圧の正負が反転することも観測されました。このMn3Snにおける自発的異常ホール効果は、反強磁性転移温度である160℃の高温まで特性を示すことも確認されました。

【社会的意義・今後の予定など】

今回の発見は、これまでの磁気メモリ開発の常識を覆す革新的な成果と言えます。加えて、Mn3Snは非常に安定な物質で、比較的簡便な方法で物質合成が可能であり、さらに安価で毒性の無い元素で構成されているなど、実用材料として優れた特性を兼ね備えていることから、今後実用化を目指した研究開発が急速に進んでいくことが期待されます。今後の課題としては、磁気メモリ素子の書き込み動作として、磁気構造の反転をもたらすスピン注入磁化反転の適用の可能性について研究を進めていく必要があり、これが可能となれば更に実用化の道が見えてくることになります。
自発的異常ホール効果が現れる機構については、学術的にも大変興味がもたれているテーマとなっています。Mn3Snのスピンの構造はキラリティを有しており、これに起因する電子構造のトポロジカルな性質が自発的異常ホール効果の機構に関与していることが理論的に提案されており、今後その機構解明に向けた研究も行っていく予定です。

[1] S. Nakatsuji, N. Kiyohara, and T. Higo, Nature 527, 212-215 (2015).

Short Summary

Article

このページのトップへ

研究テーマに戻る



2. 低電力・高集積化を可能にする磁気メモリ材料
~反強磁性体で巨大な異常ホール伝導度を持つ物質の発見~

Phys. Rev. Applied 5, 064009 (2016). に掲載>

スマートフォンやノートパソコンなどのモバイル端末に搭載されているメインメモリの多くは、電源オフにともない記憶情報が失われてしまう揮発性であるため、情報の保持による電力消耗が大きいという欠点があります。これは情報保持に電荷を溜める方式のためで、磁化の向きで情報を記憶することで、電源オフ時でも記憶情報が失われない「不揮発性メモリ」と呼ばれる次世代メモリの開発が行われています。しかし、強磁性体材料を用いた不揮発性メモリ「磁気メモリ」の場合、記憶素子の材料でスピンの向きが揃った、言わば小さな磁石を使っているため、高密度化にともない記憶素子同士の磁気的な干渉が起こることや、スピンの整列が保てなくなるなど、高集積化に限界があるという重大な弱点を抱えており、その解決が強く求められています。

この磁気メモリの記憶情報の読み出し方法には、トンネル磁気抵効果抗とよばれる強磁性体層—絶縁体層—強磁性体層の3層構造の間の抵抗変化を読み取る方法が採用されています。一方、本研究グループは構造的により単純な単層で作動し電力の散逸を軽減できるホール効果を利用する方法に注目してきました。ここでホール効果(図 2.1)とは、物質中に電流として流れる電子が磁場を感じることによって、電流方向と垂直な方向に起電力が生じる現象で、100年以上も前の19 世紀後半に発見されました。強磁性体では物質内部でスピンが同方向に揃うことで磁場を作るため、外から磁場をかけなくてもホール効果が自発的に現れ、異常ホール効果と呼ばれています。従来の異常ホール効果で生じる起電力はメモリ素子として利用するには比較的小さかったために注目されませんでした。近年、スピン同士が反平行や幾つかのスピンで互いに打ち消し合う配置をとる反強磁性体でも、異常ホール効果が起こる可能性が理論的に示唆されていましたが実験的報告は最近までありませんでした。この反強磁性体ではスピン同士が打ち消し合う配置をとるため、スピンが全体で作り出す磁場(磁化)がほとんどなく、強磁性体で問題となっていた漏れ磁場による素子間で干渉を抑えることで、強磁性体に比べて高密度化を飛躍的に進めることができます。また、反強磁性体は一般に強磁性体よりも3桁以上の速い動作性能を示すため高速化にも繋がります。

 本研究グループは、2015年に世界で初めて自発的に巨大異常ホール効果を示す反強磁性体物質Mn3 Snを発見しました。今回、その一連の物質探索の中で、SnをGeに100%置換したマンガンとゲルマニウムの化合物であるMn3Geにおいて、反強磁性体の自発的異常ホール効果にとしては、過去最大の異常ホール伝導度を示す物質を発見しました。このホール伝導度は、低温5 Kにて400 Ω-1cm -1であり、Mn3 Snの示す最大値の4倍以上で、これまで報告されている半導体の値に比べて桁違いに大きな値です(図 2.4)。ホール伝導度が高いということは、少ない電流駆動で大きな起電力を発生させることができることになり、発熱を抑えられます。次世代の反強磁性メモリ材料としては、消費電力においても優れた特性を持つものとして期待されます。さらには、異常ホール効果はスピン依存した、いわゆるスピンホール効果と起源を同じくしており、今回の発見は、反強磁性でもスピンに依存した起電力が存在すること、さらにそれを増強する新たな機構を与えるものとして注目されます。

 Mn3Geはカゴメ格子と呼ばれる結晶構造(図 2.2)をとり、マンガン原子とそのスピンが正三角形の頂点を占める位置に配置されています。このとき、隣り合うスピンがお互いに反対方向に向こうとする力(反強磁性相互作用)が働くと、三角形の3つの頂点の間でその力が拮抗し、最終的にはお互いに120 度だけ傾いた状態が安定になります。但し、スピンの向きの取り方には幾つかの種類があり、Mn3Geでは、図2に示すようなスピン配置をとります。このようにスピンがお互いにキャンセルするような配置をとりますが、外から磁場をかけると僅かに磁化が観測されます。この値は1つのマンガン元素あたり数ミリμB という値で、一般的な強磁性体の1000分の1に相当するような非常に小さな磁化です。それにもかかわらず、磁化測定の結果では、数百ガウスという比較的小さい磁場によってこの非常に小さい値の磁化の反転が見られ(図 2.3)、それに伴いホール効果の電圧の符号が反転することも観測されました。このMn3Ge における自発的異常ホール効果は、-270℃の低温から反強磁性転移温度の120℃の高温までの幅広い温度範囲で現れることも確認されました。

 今回の発見は、Mn3Snの発見に引き続き、これまでの磁気メモリ開発を大きく前進させる成果と言えます。また、この発見に基づいて考えられるスピンに依存した起電力は、エネルギーハーヴェスティングの技術創出につながると期待されます。Mn3Snだけでなく同一構造のMn 3Geおいて更に巨大な異常ホール伝導度がみられたことは、類似物質探索、すなわちMn3ZZサイトの置換による最適化により高い自発的異常ホール伝導度を示す物質が見つかる可能性を示唆しています。二元化合物Mn3Ge は非常に安定な物質で、比較的簡便な方法で物質合成が可能であり、さらにクラーク数の高い安価で毒性の無い元素で構成されているなど、実用材料としても優れた特性を兼ね備えていることから、今後、実用化を目指した研究開発が急速に進んでいくことが期待されます。

 自発的異常ホール効果が現れる機構は、学術的にも大変注目されているテーマです。Mn3Ge のスピンの構造はMn3 Snと同様にキラリティを有しており、これに起因する電子構造のトポロジカルな性質が自発的異常ホール効果の機構に関与していることが理論的に提案されています。今後、巨大な異常ホール効果を解明するため、この効果が更に顕著になる低い温度での研究を進めていく予定です。

(図 2.1)反強磁性体Mn3Geのホール効果の概念図。 正孔としてのホール効果を示す場合の起電力と磁場と電流の配置とMn3Geのスピン構造配置の相関。

(図 2.2)反強磁性体Mn3Geの結晶構造と磁場中での磁気構造。(a) z = 0面とz = 1/2面の二層を持つカゴメ格子構造と呼ばれる三角形ベースの結晶構造。(b) 磁場B//[2110]にかけた場合の逆スピン三角構造と呼ばれるMnスピンの磁気構造の様子並びに (c) 磁場B//[0110]にかけた場合の逆スピン三角構造を持つ磁気構造の様子。

(図 2.3)反強磁性体Mn3Geでの磁場変化による異常ホール効果と磁化の様子。(a) 自発磁場を伴った場合のホール抵抗の実験結果。0磁場でもホール効果がのこるため異常ホール効果を示す。(b) 100 Gの磁化でスピン反転と同時に巨大な異常ホール効果が現れることが分かる。また低温5Kまでこれらの特性に変化がない。

(図 2.4)反強磁性体Mn3Geの低温までのホール伝導率。低温で大きなホール伝導度を示すことがわかる。右上挿入図は縦抵抗の温度依存性。

このページのトップへ

研究テーマに戻る



3. 磁性体を用いて熱から発電を可能にする新技術~反強磁性体での巨大な異常ネルンスト効果の発見 ~

【発表のポイント】
・ 反強磁性体で初めて自発的な巨大異常ネルンスト効果を発見しました。
・ 電子構造のトポロジーを利用した新しい熱電技術の提案をします。
・ 既存磁性体物質より磁化当たりで100倍大きい熱起電力特性を持つ反強磁性体のため、漏れ磁場を押さえることで高集積化が可能、高効率の熱電変換材料として期待されます。

【概要】
熱から電気エネルギーを直接回収する発電方法として熱発電と呼ばれるものがあります。これは自動車・バイクのエンジン、工場や製鉄所、パソコンやサーバー機などで発生する身近な廃熱を利用する方法や、温泉熱、太陽熱、地中熱などの自然界の熱を利用する方法が知られています。主に熱を電気に変える熱電変換素子は、「温度差を有する材料の両端に起電力が生じる」という基礎原理を利用しています。この原理を利用した発電装置は温度差が大きいほど発電量は大きくなります。また、小型化が可能なうえ、可動部分もなく発電装置の長寿命化が期待できます。しかし、現在使われている非磁性体の半導体を利用した発電素子は温度差の方向と起電力を取り出す方向が同じであるため立体的な構造を作ることが余儀なくされ、製造工程が複雑になり大型化や高集積化に伴う製造コストに問題を抱えています。 今回、東京大学物性研究所(所長 瀧川仁)の冨田崇弘特任研究員、ムハンマド・イクラス大学院生、中辻知教授らの研究グループは理化学研究所創発物性科学研究センター計算物質科学研究チームと協力して、反強磁性体マンガン合金 (Mn3Sn、図3.1、注1) にて、これまでにない自発的な巨大熱起電力効果が現れることを見いだしました。従来の温度差のみを利用した原理と異なり物質の磁性を利用した発電原理によるものです。この磁性を用いた発電原理は温度差とその磁化の大きさに比例した熱起電力が現れ、強い磁性を持つ強磁性体材料でのみ現れると考えられてきました。しかし、この常識を破り、本研究グループは100分の1以下の磁化を持つ反強磁性体で強磁性体と同程度以上の自発的な巨大熱起電力効果を世界で初めて発見しました。今まで強磁性体を熱電材料として利用した場合は漏れ磁場の影響があり高集積化が不可能と思われていましたが、反強磁性体の場合はスピンが互いに反対向きに揃うために全体のスピンが作り出す漏れ磁場は殆どありません。このため、今まで不可能だった高集積化による高出力の実現が可能となります。また磁性体を使用した場合の熱電素子は、温度差と磁化と起電力が互いにすべて垂直方向を取るため、熱起電力を発生させる素子構造自体の単純化が可能です(図3.2)。マンガン合金が二元系の廉価で毒性のない元素のみで構成されていること、容易に結晶育成できることなどから実用材料としての好条件が揃っており、今後熱電素子の製造コストを抑える革新的な進展が期待されます。
【発表内容】
本研究グループは、世界で初めて反強磁性体物質で自発的に巨大熱起電力を発現する熱電変換材料を発見しました。現在の熱発電機は半導体などの非磁性材料が一般的ですが、今回発見した熱伝変換材料は金属磁性体です。磁性体の場合は、温度差以外に磁化にも比例した熱起電力が現れます。しかも熱起電力の方向は磁化と温度差の両方向に互いに垂直に発生します。この現象はネルンスト効果と呼ばれています。従来この効果では、磁化の強い強磁性体でしか実用的な熱起電力を示さないと考えられていました。今回、この常識を覆し磁化の小さい反強磁性体マンガン合金 (Mn3Sn)でも強磁性体と同程度以上の大きな熱起電力が生じることを世界で初めて発見しました。これは量子力学に基づく波動関数の位相を起源とした仮想磁場 (注3) と呼ばれる新しい物理概念により熱起電力が大きく増強されたと考えられます。この仮想磁場はおよそ数百T級に相等し熱流とカップルすることで小さな磁化を持つ物質でも巨大な熱電力が現れたと考えられます(図3.3)。さらに本発見で興味深いことは、この仮想磁場が磁化とともに自発的に生じているため、温度勾配を与えるだけでこの巨大な熱起電力が現れることです。このように自発的に現れるネルンスト効果を異常ネルンスト効果(注4)と呼び、従来の熱発電原理と同じように温度差のみで起電力を発生できます。さらにMn3Snの巨大な熱起電力は室温付近もさることながら温度を冷やすことで起電力が上がり、-70 ℃ (200 K) で最大値を示し室温の4倍以上の値が現れます。これまで報告されている強磁性体の値と比べても同程度以上で磁化当たりに対しては100倍以上大きな値です(図3.4)。 今回反強磁性体を用いた巨大な熱起電力を利用した新たな熱電機構を考案しました。従来の熱電素子と比べ優れた点は、本物質が反強磁性体であるため磁化がとても小さいことにあります。Mn3Snはカゴメ格子と呼ばれる結晶構造 (図3.1) をとり、マンガン原子とそのスピンが正三角形の頂点を占める位置に配置されています。このとき、隣り合うスピンがお互いに反対方向に向こうとする力が働くと、三角形の3つの頂点の間でその力が拮抗し、最終的にはお互いの角度が120 度だけ傾いた状態が安定になります。ただし、スピンの向きの取り方には幾つかの種類があり、Mn3Snでは、図3.2に示すようなスピン配置をとります。このようにスピンがお互いにキャンセルするような配置をとりますが、外から磁場をかけるとわずかに磁化が観測されます。この磁化は磁場を取り去っても自発磁化として残ります。値は1つのマンガン元素あたり数ミリμB という非常に小さな磁化の値のため、単純計算で一般的な強磁性体に比べ100倍以上の高集積化が期待できることになります(図3.4)。また耐熱温度はMn3Sn の反強磁性転移温度と同程度で160℃ (420 K)と環境発電材料として都合が良い温度と言えます。 現在主に利用されている非磁性の半導体素子を利用した熱発電機は発生電力と温度差の方向が平行なため (ゼーベック効果)、熱発電には図3.2aで示すように複雑な構造を取る必要がありました。一方、今回の反強磁性体を用いることで温度差と垂直に熱起電力を取り出せるため (ネルンスト効果)、各素子の電圧端子を面内方向に連結させるだけで良いことから単純なモジュール構造が可能です(図3.2b)。また磁化が小さいことを利用し集積化を行うことで従来の熱発電機と比べて出力電力の飛躍的な向上が見込めます。製造コストが安いMnやSnで構成できる廉価で無害な金属磁性材料であり、構造が単純なことから薄膜などのさまざまな形状への加工が可能になると考えられます。このため凹凸のある熱源の接触面に柔軟に対応でき、熱エネルギーをより効率的に取り込めることから熱変換効率を上げることが期待されます。今後、薄膜等によりシート化が可能になれば工場の廃熱や地熱等凹凸のある面に柔軟に対応できるなど今後の研究開発次第でさらなる展開が期待されます。これにより工場や発電所の熱エネルギーの回収・管理や地熱等の眠れるエネルギーの活用が可能になるなど、省エネルギー対策や地球温暖化の緩和策にも効果を発揮すると期待されます。

図3.1:反強磁性体Mn3Snの結晶構造と磁場中での磁気構造。 (a) z = 0面とz = 1/2面の二層を持つカゴメ格子構造と呼ばれる三角形ベースの結晶構造。(b) 磁場B // [2110] にかけた場合の逆120度構造と呼ばれるMnスピンの磁気構造の様子、ならびに(c)磁場B // [01-10] にかけた場合の逆120度構造を持つ磁気構造の様子。


図3.2:(a)従来のゼーベック効果と(b)ネルンスト効果によるモジュール化の違い。 (a) 2種類の異なる金属または半導体を接合して、両端に温度差を生じさせるとゼーベック効果により温度差と同方向に起電力が生じる。大きな電位差を得るためにp型半導体、n型半導体を組み合わせて複数並べて使用する。(b)ネルンスト効果を利用した場合、温度差と磁化と電位差がすべて垂直であるため、モジュール自体を薄くシート化することが可能。正負の異なるネルンスト電圧もしくは異なる保磁力を持つ磁性材料を接合させて組み合わせて使用する。さらに強磁性体と比べ反強磁性体Mn3Snでは集積化が可能なため、従来より高出力化が可能。


図3.3:反強磁性体Mn3Snでの (a)ゼロ磁場での自発磁化、ネルンスト電圧、温度差の各方向。(b)磁場変化によるネルンスト電圧。ゼロ磁場でも自発電力が発生(異常ネルンスト電圧)。Mnドープ量を調整することで、保磁力とネルンスト電圧の調整が可能。


図3.4:さまざまな磁性体の磁化の大きさに対するネルンスト効果のプロット。 強磁性体(赤いベルト内の物質群)と比べ反強磁性体Mn3Snは磁化が極端に小さいにも関わらず、ネルンスト電圧は強磁性体の最高値と同等の性能を示す。

【発表雑誌】
雑誌名:「Nature Physics (2017) 」(DOI番号: 10.1038/NPHYS4181)
論文タイトル:Large anomalous Nernst effect at room temperature in a chiral antiferromagnet 著者:Muhammad Ikhlas+, Takahiro Tomita+, Takashi Koretsune, Michi-To Suzuki, Daisuke Nishio- Hamane, Ryotaro Arita, Yoshichika Otani, and Satoru Nakatsuji * (+:equal contribution, *:責任著者)
【用語解説】
(注1) 反強磁性体マンガン化合物 (Mn3Sn) :三角格子上の各頂点に位置するMn原子が反強磁性的な相互作用を持つスピンを持ち120°構造で安定化する。今回の物質は、三角格子上の3頂点の1つのMnスピンが常に磁場と平行方向に向こうとする逆120度構造をとる。この反強磁性体スピンの全体としての総和はほぼ0に等しい。巨大な異常ホール効果も示すため次世代の反強磁性不揮発性メモリ材料の候補と考えられる(図1)。
(注2) ゼーベック効果:この効果は電子・正孔の熱拡散による。一般に温度差のない導体の内部ではキャリア (電子・正孔) は均等に分布している。ところが金属や半導体の一端を加熱することにより、加熱された付近にあるキャリアが活性化され、低温側へと拡散して電場が生じる効果である。これは純水中に墨汁を一滴落とした時と同じで、活性化されたキャリアが広がろう(濃度を薄めよう)という現象(拡散)である。
(注3) 仮想磁場:波数空間に存在する有効磁場で、電子構造のトポロジーに起因する新しい物理概念。巨大な異常ホール効果や巨大な異常ネルンスト効果の起源と考えられる。
(注4) ネルンスト効果/異常ネルンスト効果:ネルンスト効果とは、導体や磁性体に互いに垂直な方向の磁場(磁化)と温度差を与えることで、高温端から低温端へ向かう電子の流れが磁場(磁化)により偏向を受けて曲げられた際、電子の分布が一様でなくなり、磁場(磁化)と温度差の互いに垂直な方向に起電力が生じる現象(図3a)。自発的に磁化や仮想磁場を持つ特殊な磁性体ではゼロ磁場でもネルンスト効果が発生し、これを異常ネルンスト効果と呼ぶ。異常ネルンスト効果があれば、ゼーベック効果と同様に温度差のみで起電力が発生する。
(注5) 電子構造のトポロジー:電子などは一般に、量子力学的な波動関数で表される。その波動関数の位相情報が物質の巨視的な性質、例えば、ホール効果やネルンスト効果として現れる場合がある。これは波動関数が作る電子構造の幾何学的な性質に起因するため、電子構造のトポロジー呼ばれる。

このページのトップへ

研究テーマに戻る



4. 「ワイル磁性体」を世界で初めて発見 ~ワイル粒子で駆動する次世代量子デバイス実現へ道筋 ~

【発表のポイント】
・ 新しい磁性物質「ワイル磁性体」を世界で初めて発見しました。
・ 室温で10ミリテスラの小さな外部磁場により、本物質中で発現するワイル粒子を制御することが可能です。
・ ワイル粒子の量子力学的な特性を利用することで新しい機能を持った革新的な次世代デバイスの開発の進展が期待されます。

【概要】
質量ゼロのワイル粒子は、1929年に理論的に提案されて以降、高エネルギー物理の領域で研究されてきました。長い間ニュートリノがワイル粒子だと考えられていましたが、1998年にスーパーカミオカンデの実験で質量を持つことが実証(2015年ノーベル賞)されて以降、ワイル粒子の再探索が行われていました。2015年、意外なことに、ヒ素化タンタル(TaAs)という半金属物質中で低エネルギーの伝導電子が「ワイル粒子」として振る舞うことが発見されました。ワイル粒子は、素粒子物理などの基礎科学に関する研究分野だけでなく、物質にも存在し、その特殊な量子力学的性質をデバイス開発に利用することができることから、現在ワイル粒子に関する研究が世界中に広がっています。そもそも、物質中のワイル粒子には2つの種類があることが知られています。最初に予言された磁気ワイル粒子と、その後、存在が予想された非磁性ワイル粒子です。非磁性ワイル粒子はTaAs中でその存在が実証されました。一方、外部磁場で制御が可能となる磁気ワイル粒子はデバイス応用で必要不可欠となるため、その物質開発では熾烈な競争が行われています。しかしながら、これまで磁気ワイル粒子の発見に成功した例はありませんでした。もし、このような物質が実現すれば、既存のエレクトロニクスの枠組みを超えた新しいパラダイムを与えると期待されています。
【発表内容】
今回、東京大学物性研究所の中辻知教授らの研究グループは、反強磁性体であるマンガン(Mn)とスズ(Sn)の合金、マンガン三スズMn3Sn(図1、注2)中で、「ワイル粒子」となる伝導電子の振る舞いを発見しました。本ワイル粒子は、反強磁性体内で自発的に発生した磁場により創出された磁気ワイル粒子であり、今回、世界で初めてその存在を実証しました。物質中のワイル粒子は、異なるカイラリティ(右巻き、左巻き)が対となって発生し、量子力学に基づく波動関数のトポロジーを起源として、それぞれ「N極」と「S極」に相当する磁気モノポール(ワイル点) を形成します(図4.2)。このようなワイル粒子が創り出す量子力学的効果により、物質中の伝導電子が仮想的な磁場(注4)を感じて巨大な電子輸送現象が発生します。これまで、Mn3Snで巨大な磁気輸送現象や熱電効果が観測されてきましたが、その起源はわかっていませんでした。今回の磁気ワイル粒子の発見により、ワイル粒子の創る巨大な仮想磁場がその発現機構に重要な役割を担っていることがわかりました。また、今回の発見はMn3Snが外部磁場による制御で質量ゼロの磁気ワイル粒子を自在に操作できる新しい磁性体「ワイル磁性体」であることを意味します。これは、ワイル磁性体に地磁気の20倍程度(10ミリテスラ)の磁場を与えるだけで、磁気ワイル粒子が作り出す1000 テスラに匹敵する巨大な磁場(仮想磁場を実空間の磁場に換算した場合)を制御可能である事を示しています。今回、本物質の電子構造を光電子分光 (注5) と理論計算を組み合わせて詳細に調べた結果、巨大な仮想磁場の源であり、磁気モノポールになるワイル点がフェルミレベルのごく近傍に形成されることを明らかにしました (図4.3) 。磁気ワイル粒子が物質内に存在していれば、磁場と同じ方向に電流が流れるという特異な現象を利用し、磁場の角度と電流方向の実験で示すことに室温で成功しました。(図4.4) 今回発見されたMn3Snはカゴメ格子と呼ばれる結晶構造 (図1a) をとり、マンガン原子とそのスピンが正三角形の頂点を占める位置に配置されています。このとき、隣り合うスピンが互いに反対方向に向こうとする力が働き、互いに120 度傾いた状態で安定になります(図4.1b, 4.1c)。これに外から数10 ミリテスラ程度の非常に小さい磁場をかけるとわずかに磁化が観測されます。この磁化は外からの磁場を取り去っても残ります。この様に小さい磁場でワイル粒子を操作することで、巨大な仮想磁場が発現させる量子輸送現象を制御できることを示しました。

図4.1:反強磁性体Mn3Snの結晶構造と磁気構造。 (a) z = 0面とz = 1/2面の二層を持つカゴメ格子構造と呼ばれる三角形ベースの結晶構造。(b) 磁場B // [2110] にかけた場合の逆120度構造と呼ばれるMnスピンの磁気構造の様子、ならびに(c)磁場B // [01-10] にかけた場合の逆120度構造を持つ磁気構造の様子。


図4.2:ワイル粒子のエネルギーと運動量の関係の模式図。 ワイル粒子はカイラリティの異なる対が同時に形成され、それぞれの交点(ワイル点)で仮想磁場(緑矢印)が発生して電子の運動に影響を与えます。


図4.3:(左) 磁場B // [2110] にかけた場合の反強磁性体Mn3Snでのワイル点の位置と仮想磁場の向き。(右) 光電子分光で得られたエネルギーと運動量の関係と理論計算(白線) の比較。バンドのクロス点 (ワイル点) に対応する光電子強度が観測されました。


図4.4: 磁場と電流の向きが平行になった時だけ電気が流れる事で、見かけ上電気抵抗が下がって見えます(左図)。右図に示す通り、磁場により異なる2つのワイル点間にエネルギー差が生じて起こる電流の誘起現象によって引き起こされます。

【発表雑誌】
雑誌名:「雑誌名:「Nature Materials」 (DOI番号: 10.1038/NMAT4987)
著者:K. Kuroda+, T. Tomita+, M.-T. Suzuki, C. Bareille, A. A. Nugroho, P. Goswami, M. Ochi, M. Ikhlas, M. Nakayama, S. Akebi, R. Noguchi, R. Ishii, N. Inami, K. Ono, K. Kumigashira, A. Varykhalov, T. Muro, T. Koretsune, R. Arita, S. Shin, Takeshi Kondo, and S. Nakatsuji * (+:equal contribution, *:責任著者)
【用語解説】
(注1) 反強磁性体マンガン化合物 (Mn3Sn) : 三角格子上の各頂点に位置するMn原子が反強磁性的な相互作用を持つスピンを持ち120度構造で安定化します。今回の物質は、三角格子上の1つのMnスピンが常に磁場と平行方向に向こうとする逆120度構造をとります。 (図4.1)この反強磁性体スピンの全体としての総和はほぼゼロに等しい。巨大な異常ホール効果や異常ネルンスト効果を示すため次世代の反強磁性不揮発性メモリ材料や熱電変換材料の候補と考えられます。しかし異常な特性の起源は今までわかっていませんでした。
(注2) ワイル粒子: ワイル粒子とは、1921 年にヘルマン・ワイルが提唱したワイル方程式に従って記述される粒子のことです。物質内でワイル粒子は、異なるカイラリティ(右巻き、左巻き)を持つ対となって発生して、それぞれ磁石の「N 極」と「S 極」に相当する点 (ワイル点) を形成します。(図4.2)2015年にヒ素化タンタル (TaAs) という半金属状態の物質中(ワイル半金属)でワイル粒子が発見されました。
(注3) ホール電圧: 電流が流れている物体に磁場を加えると、伝導電子が電流と磁場の方向に対して垂直方向にローレンツ力を受けて物体の端に移動します。その結果、電流と磁場の方向に対して垂直方向に電位差ができます。この現象をホール効果といい、このホール効果によって発生した電位差はホール電圧と呼ばれています。
(注4) 仮想磁場: 波数空間に存在する有効磁場で、電子構造のトポロジーに起因する新しい物理概念。巨大な異常ホール効果や巨大な異常ネルンスト効果の起源と考えられます。電子などは一般に、量子力学的な波動関数で表されます。その波動関数の位相情報が物質の巨視的な性質、例えば、ホール効果やネルンスト効果として現れる場合があります。これは波動関数が作る電子構造の幾何学的な性質に起因するため、電子構造のトポロジー呼ばれています。 (図4.2)
(注5) 光電子分光: 物質に光を照射して飛び出す電子 (光電子) を観察することで、物質内の電子状態を観察する実験手法。光が伝搬する波であると同時に粒の集合体であるとして、光の概念を覆したアインシュタインの発想 (1921 年のノーベル賞受賞理由) に基づいています。
(注6) カイラル異常: ワイル粒子が内包された物質で、磁場と同じ方向に電流が流れる量子力学の特別な現象です。磁場により異なる2つのワイル点間にエネルギー差が生じることでその大きさに依存した電流が流れます。これにより電場と磁場が平行の時のみ見かけ上、磁気抵抗が下がります。

このページのトップへ

研究テーマに戻る





5. 磁気光学効果の新たな起源を解明
-反強磁性金属での磁気光学カー効果を世界で初めて観測-


【発表のポイント】
 
【概要】
 室温において自発的に磁気光学カー効果 (注1) を示す反強磁性 (注2) 金属の開発に世界で初めて成功しました。開発したマンガンとスズからなる金属間化合物Mn3Snは、互いを打ち消しあうように配置された複数のスピンから構成される「クラスター磁気八極子 (注3) 」というスピン秩序構造を持つ反強磁性体です。今まで無磁場かつ磁化を持たない反強磁性状態では、光-磁気応答の一つである磁気光学カー効果は現れないと考えられていました。今回この常識を破り、磁気八極子を持つ反強磁性体において、磁場と磁化がゼロの状態においても磁気光学カー効果が現れることを見いだし、磁気八極子が作る磁気ドメインの直接観測にも成功しました。この発見により、磁気光学素子の新たな開発指針が築かれたとともに、今回確立した磁気光学カー効果を用いた非破壊・非接触な反強磁性ドメインの直接観察手法は、近年特に注目が集まっている反強磁性体を用いた熱電変換素子 (注4) やスピントロニクス素子といった、反強磁性ドメインの制御が重要となる次世代の磁気デバイス研究への広範囲な応用展開が期待されます。本研究成果は国際科学雑誌Nature Photonicsの2018年1月27日付けオンライン版に公開されています。

【発表内容】
 磁気光学カー効果/ファラデー効果は、磁性体に直線偏光 (注5) した光を当てた際に、磁性体の磁化の向きに応じて反射光/透過光の偏光面が回転する現象です。これらの線形磁気光学効果は、光磁気ディスクや通信線路などで用いられる光アイソレータをはじめとした磁気光学素子の原理であるほか、磁気特性や電子状態といった基礎物性や磁気ドメイン (スピンが整列した領域) を非破壊・非接触で観察する手段として、物質中のスピンが一様な方向に揃うことで大きな磁化を示す強磁性体で活発に研究が行われています。中でも、磁気光学カー効果は物質表面で起こる現象のため、体積が小さく磁化測定が困難な薄膜形状の強磁性金属での磁気特性評価に適しており、熱電変換素子やスピントロニクスデバイスの研究に広く用いられています。
 これらのデバイス開発では、近年、強磁性体だけでなく反強磁性体 (とりわけ、電気を流すことが可能な反強磁性金属) にも注目が集まっています。その理由は、反強磁性体には「(1) 漂遊磁界 (注6) がゼロ (非常に小さい) のため、隣接する素子への磁気的な影響が極めて小さい。(2)数ピコ秒 (強磁性体の約 1/100) の高速なスピン応答が可能である。」という特性があり、熱電変換素子の高集積・大面積化や不揮発性メモリと呼ばれる次世代記憶素子などの高集積・高速化を行う上で非常に有用であるためです。その一方で、反強磁性体では、隣り合うスピン同士が反平行や互いを打ち消しあうように配列することで磁化の総和がゼロ、もしくは非常に小さい値となっています。そのため、強磁性体で一般的に用いられている手法では、光・熱・電気などの外場の反強磁性スピン構造に対する応答の検出・制御は困難であると考えられており、実際に磁化がゼロとなる反強磁性体における磁気光学効果の報告はされていませんでした。反強磁性体を用いたデバイス開発を行う上で、光などの外場に対する巨大な応答の検出とその制御方法に関する技術革新が望まれています。

 本研究グループでは、これまでにもマンガンとスズの化合物である反強磁性金属Mn3Snに着目して研究を行っており、室温で巨大な異常ホール効果 (注7) や異常ネルンスト効果 (注8) が自発的に現れることを観測するなど、反強磁性体における電気-磁気・熱-磁気応答の機構解明につながるような学術的な成果を上げてきました。今回、その一連の物性探索の中で、反強磁性金属において自発的に現れる磁気光学カー効果の室温での検出と制御に世界で初めて成功しました。また、その微視的な起源が、磁化の総和をゼロとするように配置された複数のスピンから構成されるクラスター磁気八極子であり、磁気光学カー効果が現れないと考えられていた無磁場かつ磁化ゼロの反強磁性状態においても巨大なカー回転が現れることを明らかにしました (図5.1)。
 Mn3Snはカゴメ格子と呼ばれるカゴの網目のような格子が2層積層した構造をとり、マンガン原子とそのスピンが正三角形の頂点に配置されています (図5.2a)。この時、隣り合うスピンが互いに反対方向を向こうとする力が働くことで、それぞれが120度傾いた状態で安定になります。また、2層のカゴメ格子に3種類のスピンが6つ配置された単位構造に注目してみると、クラスター磁気八極子と呼ばれる複数のスピンで構成される新しい自由度を持っていることがわかります(図2b, 注4) 。このスピン構造 (磁気八極子) は10ミリテスラ (mT) という非常に小さい外部磁場をかけることで操作が可能で、磁気八極子の反転に伴って、上述の異常ホール効果や異常ネルンスト効果が制御できることが予想されていました。
 今回、本研究グループがMn3Snでの磁気光学カー効果を測定した結果、室温・ゼロ磁場下で約20ミリ度という強磁性体にも匹敵するほど大きな反射光の偏光面の回転 (カー回転) が現れ、その回転角の符号が10 mT程度の磁場で制御できることを観測しました (図5.3a)。このカー回転角は、レーザー光源として広く用いられているダイオードの発振波長に近い600 nm程度で最大値を示します (図5.3b)。また、Mn3Snは強磁性体の1/1000と非常に小さい有限の磁化を持っていますが、理論計算との比較により、今回観測された磁気光学カー効果はこの微小な磁化の有無によらず、クラスター磁気八極子がその微視的な起源であることを解明しました。さらに、磁気光学カー効果を偏光顕微鏡で観察することにより、磁気八極子を持つ反強磁性ドメイン ( ≒ カー回転角の正負の符号) の反転に伴ったコントラストの変化 (灰色⇔黒色) をイメージングすることにも成功しました (図5.4) 。

 現在、漂遊磁界がゼロ・高速応答が可能な磁気デバイス開発への期待から、機能性反強磁性体に関する研究が盛んに行われています。中でも、強磁性体に匹敵する電気-磁気応答・熱-磁気応答・光-磁気応答特性の開拓に特に注目が集まっており、これらの特性を創出する起源と考えられているクラスター磁気多極子秩序の機構解明と、その観測・制御方法の確立が望まれています。本研究において行われた反強磁性体での磁気八極子由来の巨大な磁気光学効果の観測や、反強磁性ドメインのイメージングは反強磁性体を用いたデバイス研究への広範囲な応用展開が期待されます。本研究成果は、これまでの磁気光学効果の理解を飛躍的に進める革新的な成果と言えます。反強磁性体において、磁気光学カー効果を用いた高密度・高速駆動が可能な磁気光学素子などの開発が進んでいくことが期待されます。また今回、磁気光学効果が電気を流すことができる「金属」で観測されたことから、電流駆動された反強磁性ドメインを直接観察するなどの光・磁気・電気の協奏により創発される新たな反強磁性機能の開拓が可能となります。
通常、反強磁性体の磁気ドメインの可視化には中性子散乱や放射光実験が行える巨大施設が必要でしたが、テーブルトップで、かつ、試料を非破壊・非接触で測定可能な磁気光学カー効果による反強磁性ドメインのイメージングは、近年活発に研究が行われている反強磁性金属を用いた磁気デバイスの特性を評価する上でも非常に有用な技術であり、本手法を用いた研究が急速に進んでいくことが期待されます。反強磁性金属の具体的な応用例の一つである、熱から電気を作る「異常ネルンスト効果」を用いた熱電変換素子は、漂遊磁界による電子機器への影響が小さく、素子の大面積化/高密度化による発電量/起電力の増強が期待できることから、環境の中の未利用エネルギーを集めて電気に変換するエネルギーハーヴェスティング分野において注目が集まっています。異常ネルンスト効果をもたらす反強磁性スピン構造や磁気ドメインダイナミクスの理解は、熱電素子などのデバイス開発をさらに発展させる上で、非常に有用な結果であるといえます。本結果は、新たに磁気光学カー効果を示す反強磁性体を開発する上での指導原理となるだけでなく、大きな異常ネルンスト効果による熱電材料の開発に、磁気八極子を持つ反強磁性体が有力な候補となることを示すという意味で、エネルギーハーヴェスティング材料開発に指針を示す成果です。
 反強磁性体において自発的に磁気光学効果が現れる機構については、学術的にも大変興味が持たれているテーマとなっています。今回、Mn3Snの有する磁気八極子に着目しましたが、複数のスピンが作る磁気多極子に着目してさまざまな物質群で研究を行うことで、光を反射しやすい「金属」を用いた磁気光学カー効果だけでなく、光を透過しやすい「絶縁体」を用いた磁気光学ファラデー効果における機構の解明が進むことも期待できます。最近、光電子分光などの実験により、Mn3Snがワイル粒子と磁性を併せ持つ新しいトポロジカル物質「ワイル磁性体 (注9)」であることが明らかになりました。ワイル磁性体ではワイル粒子の創り出す仮想的な磁場によるさまざまな量子輸送現象が観測されます。今後の課題としては、物質中の仮想的な磁場への敏感な応答が期待できるTHz帯の光を用いた磁気光学効果の測定をはじめ、反強磁性金属にとどまらない広範な物質群での新規な磁気光学現象や応用デバイスの提案をしていく予定です。

なお、本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST) 「微小エネルギーを利用した革新的な環境発電技術の創出」研究領域 (研究総括:谷口 研二、研究副総括:秋永 広幸) における研究課題「トポロジカルな電子構造を利用した革新的エネルギーハーヴェスティングの基盤技術創製」課題番号 JPMJCR15Q5 (研究代表者:中辻 知) 並びに文部科学省 科学研究費補助金 新学術領域 (研究領域提案型)「J- Physics:多極子伝導系の物理」課題番号 15H05882 (研究代表:播磨 尚朝) における研究計画班「A01: 局在多極子と伝導電子の相関効果」課題番号 15H05883 (研究代表者:中辻 知) の一環として行われました。本研究成果は、日本学術振興会の戦略的国際研究交流推進事業「頭脳循環を加速する戦略的国際研究ネットワーク推進プログラム」における事業課題「新奇量子物質が生み出すトポロジカル現象の先導的研究ネットワーク」 (主担当者:瀧川 仁 東京大学物性研究所 所長)の助成を通して、海外の研究者との共同研究・交流により研究を展開させていった中で得られたものです。

【発表雑誌】
雑誌名:「Nature Photonics」
論文タイトル:Large magneto-optical Kerr effect and imaging of magnetic octupole domains in an antiferromagnetic metal
著者:Tomoya Higo, Huiyuan Man, Daniel B. Gopman, Liang Wu, Takashi Koretsune, Olaf M. J. van ’t Erve, Yury P. Kabanov, Dylan Rees, Yufan Li, Michi-To Suzuki, Shreyas Patankar, Muhammad Ikhlas, C. L. Chien, Ryotaro Arita, Robert D. Shull, Joseph Orenstein, and Satoru Nakatsuji* (*:責任著者)
DOI番号:10.1038/s41566-017-0086-z

【用語解説】
(注1) 磁気光学カー効果
 磁性体 (注2) に直線偏光 (注4) を入射した際に、その磁化の向きに応じて反射光の偏光面が回転する現象を磁気光学カー効果といいます。また、透過光の偏光面が回転する現象を磁気光学ファラデー効果といいます。一般に、反射光を用いるカー効果では鏡のように光を反射する磁性金属で、透過光を用いるファラデー効果ではガラスのように光を透過する磁性絶縁体において盛んに研究が行われています。これらの線形磁気光学効果は、光磁気ディスクや光アイソレータといった身近で利用される磁気光学素子の原理として用いられています。

(注2) 磁性体 (強磁性体・反強磁性体・常磁性体)
 磁性体とは、物質内部に電子の自転運動に起因した「微小な磁石 (スピン)」を有する物質で、巨視的な数のスピンが何らかのパターンで整列する磁気秩序を示します。[1] 磁性体を構成する磁性原子のスピンの方向が一様な方向に揃うことで磁石のように巨視的な磁化を示す強磁性体、[2] 隣り合うスピン同士が反平行や互いを打ち消しあうように配列することで見かけ上の磁化がゼロもしくは非常に小さくなっている反強磁性体に分類されます。また、[3] スピンが整列せずに揺らいでいる状態の物質は常磁性体に分類されます。

(注3) クラスター磁気八極子
 磁石はN極とS極の2つの極を持っていますが、磁性体の各格子点に配置されたスピンも2つの極を持ち、これは磁気双極子とも呼ばれています。複数の格子点に配置されたスピンで1つのユニットを考えた際に作られる特徴的なスピンの組み合わせをクラスター磁気多極子といい、構成するスピンの数が1、2、3つと増えるにつれて、磁気双極子、四極子、八極子というようにその組み合わせの名前が変わっていきます。反強磁性金属Mn3Snのスピン構造では、3種類のスピンでのユニットを考えることが出来、図5.2(b)に示すようにクラスター磁気八極子を持っていると考えることが出来ます。このクラスター多極子では、磁化の総和がゼロとなる組み合わせにおいても、強磁性体で見られるような巨視的な応答が現れることがわかってきています。

(注4) 直線偏光
 光は空間および時間に対して振動する交流電場と交流磁場の成分によって表されます。太陽光などの自然光は、さまざまな方向に交流電場の振動面を持つ光の重ね合わせから出来ています。その一方で、特定の方向に交流電場が振動する光を直線偏光といいます。
(注5) 熱電変換素子
 熱と電気を変換する (熱を用いて発電をする) 機能を持った素子の総称で、廃熱・体温などの未利用エネルギーを利用して電力に変換する環境発電 (エネルギーハーヴェスティング) 技術の一つとして注目が集まっています。これまで、半導体などに温度勾配を付けることで温度勾配と同じ方向に起電力が発生する「ゼーベック効果」が広く用いられていましたが、最近では金属磁性体において、温度勾配と磁化に垂直に起電力の生じる「異常ネルンスト効果 (注8)」を用いた素子の開発も盛んに行われています。ここでは、主に異常ネルンスト効果に注目して話をしています。

(注6) 漂遊磁界
 磁性体から外部へ出ている磁界のことを漂遊磁界といいます。漂遊磁界は磁化の大きさに比例しており、自発的に磁化をもつ強磁性体の場合に大きな値となります。磁石にクレジットカードを近づけるとデータが消えてしまうのと同様に、高集積記憶デバイスにおいて、漂遊磁界が隣の素子に作用し、情報を誤って書き換えてしまうなどの問題が生じることがあります。

(注7) 異常ホール効果
電気を流すことが可能な物質において、互いに垂直に磁場と電流を与えた際に、電流として流れている電子の運動方向が磁場により曲げられ、磁場・電流と垂直の方向に起電力が生じる現象をホール効果と呼びます。自発的に磁化を持つ強磁性体や、仮想磁場 (波数空間に存在する有効磁場で、電子構造のトポロジーに起因する新しい物理概念) を持つ特殊な反強磁性体ではゼロ磁場においてもホール効果が生じ、これを異常ホール効果と呼びます。

(注8) 異常ネルンスト効果
 電気を流すことが可能な物質において、互いに垂直に磁場と温度差を与えることで、高温側から低温側へ向かう電子の流れが磁場により曲げられた際に、磁場・温度差と垂直な方向に起電力が生じる現象をネルンスト効果と呼びます。自発的に磁化を持つ強磁性体や、仮想磁場を持つ特殊な反強磁性体ではゼロ磁場でもネルンスト効果が発生し、これを異常ネルンスト効果と呼びます。異常ネルンスト効果の場合、外部から磁場を印加する必要がなく、温度差のみで発電が可能です。

(注9) ワイル磁性体
 1921年にヘルマン・ワイルが提唱したワイル方程式に従って記述される質量ゼロの粒子(ワイル粒子)を持つ物質はワイル半金属と呼ばれています。ワイル粒子は、ワイル半金属中で異なるカイラリティ (右巻き・左巻きの自由度) を持つ対となって発生し、磁石のN極とS極に相当するワイル点を形成します。通常のワイル半金属では物質の結晶構造によってワイル粒子が創出されますが、磁性によって創出されるワイル粒子(磁気ワイル粒子)を持つ磁性体をワイル磁性体といい、磁場などの外場によってワイル点の制御が可能であるなどの応用する上でも魅力的な特徴が見つかっています。

【図】


図5.1 磁気光学カー効果の概念図。 (a) 磁化を持たない常磁性体では、直線偏光は入射と反射の際に偏光面の角度は変化しない。(b) 強磁性体では自発磁化の向きに対応して反射光の偏光面に回転が起こり、これが磁気光学カー効果として知られている。(c) 通常、磁化の総和がゼロ、もしくは非常に小さい反強磁性体では、常磁性体と同様に磁気光学カー効果は期待できないが、今回開発した反強磁性金属Mn3Snではクラスター磁気八極子が光に作用することで、磁場も磁化も無い状態においても強磁性体に匹敵する偏光面の回転が起こる。

図5.2 反強磁性金属Mn3Snの結晶構造(a)と磁気構造(b) (a) [0001]方向に二層のカゴメ格子が積層した構造をもち、磁性原子のマンガンMnは正三角形の頂点に配置されている。 (b) Mnのスピンは各カゴメ格子の層で逆120度構造というスピン構造をとる。二層のカゴメ格子上の6つのスピンを見てみると、六角形で囲まれているように、クラスター磁気八極子と呼ばれるスピン秩序のユニットを持っていることがわかる。

図5.3 反強磁性金属Mn3Snの磁気光学カー効果の磁場(a)と波長(b)依存性。(a) 室温 (300 K) での磁気光学カー効果による偏光面の回転(カー回転角)の磁場に対する応答と対応する磁気八極子のスピン構造。(b) 室温、ゼロ磁場下での自発的なカー回転角の光源の波長依存性。インセット: 理論計算によって求められたクラスター磁気八極子がもたらすカー回転角の波長依存性。実験結果と類似の波長依存性を示していることに加え、クラスターの持つ自発磁化を0から0.025 ?Bまで変化させてもカー回転角が変化しないことがわかる。

図5.4 反強磁性金属Mn3Snの磁気光学カー効果による磁気八極子ドメインの直接観察像。(a) 室温での試料表面の観察像。1-8の番号は図3(a)中での各点における測定に対応している。面直方向へ加えられる外部磁場によりコントラストが変化 (灰色⇔黒色) している。黄色部分は磁壁を示している。(b) コントラストに対応した磁気八極子ドメインの概要図。

このページのトップへ

研究テーマに戻る




6. 室温で巨大な応答を示す“ワイル反強磁性体”の薄膜化に成功-機能性反強磁性デバイス開発を大きく前進-


【発表のポイント】

◆強磁性体に匹敵するほど大きな異常ホール効果を示す機能性反強磁性体(ワイル反強磁性体)薄膜の作製に成功した。

◆開発した反強磁性体薄膜はシリコン基板上に作製でき、室温において駆動する。

◆磁気デバイスのさらなる低消費電力化・高密度化・高速化の実現や、反強磁性体を用いたメモリ素子・熱電変換素子の開発が飛躍的に進展することが期待される。


【概要】

近年、磁気メモリをはじめとする磁気デバイスの高集積・高速化への期待から、強磁性材料の反強磁性材料への代替に期待が高まっています。その有力候補となるのが、マンガン (Mn) とスズ (Sn) からなるワイル反強磁性体Mn3Sn (注1) です。これは、通常、強磁性体のみで現れる異常ホール効果 (注2) や異常ネルンスト効果 (注3)、磁気光学カー効果 (注4) などの巨大な応答が室温・ゼロ磁場下で現れ、外部磁場による制御が可能であるため、反強磁性体と強磁性体両方の有益な機能を併せ持つ「次世代の磁性材料」として盛んに研究されている材料です。しかしながら、これらの物性はバルク試料のみで観測されており、デバイスとして実用化するためには、同等の機能性を薄膜で実現することが必要とされていました。

今回、本研究グループは、スパッタリング法を用いて、バルクに匹敵する巨大な異常ホール効果を室温・ゼロ磁場下で示す純良なMn3Sn薄膜をシリコン基板上に作製することに成功しました。本成果により、反強磁性体を用いたメモリ素子や熱電変換素子といった磁気デバイスの開発が飛躍的に進展することが期待されます。

本研究成果は米国物理学協会発行の学術誌Applied Physics Letter において、その重要性からFeatured Article (注目論文)として選出されました。


【発表内容】

私たちの身の回りでは多くの磁性体 (注5) が利用されており、その代表的なものとして強磁性体と反強磁性体が知られています。強磁性体はスピンが一様な方向に向く性質があり、大きな磁化を持っています。この磁化が電気や熱・光との応答を示し、その応答が磁化の向きによってコントロールできるため、HDDの磁気ヘッドやセンサーなどの構成要素として用いられています。また、近年のインターネットの普及による社会の高度情報化は著しく、膨大な量のデータを低消費電力・高密度・高速で処理するためにさまざまな技術開発が行われており、例えば、電源をオフにすると情報が消えてしまう揮発性メモリから電源オフの状態でも情報の維持が可能な不揮発性メモリへの代替が検討されています。強磁性体を用いた「磁気メモリ」は実用段階にきていますが、大きな磁化を持つ強磁性体では、漂遊磁界 (注6) の影響で素子同士が磁気的に干渉するため、高密度化に限界があるという問題に直面していました。その一方で、反強磁性体はスピンが互いの磁化を打ち消し合い、正味の磁化を持たないため、漏れ磁場の影響がなく、かつ、高速データ処理を可能にする物質群として注目を集めるようになりました。しかし、強磁性体で見られるような外場 (電気や熱・光) に対する巨大な応答は期待できないため、強磁性体と反強磁性体両方の利点を持った新たな磁性材料の開発が必要とされています。

本研究グループは、これまで、マンガンとスズからなる反強磁体Mn3Sn (図1a) において、強磁性体に匹敵するほど大きな異常ホール効果や異常ネルンスト効果・磁気光学カー効果が室温で自発的に現れることを明らかにしてきました。最近の研究では、これらの応答の起源が反強磁性秩序の持つクラスター磁気八極子 (図1b, 注7) の自由度や、ワイル点 (注8)と呼ばれる電子構造のトポロジーと密接に関わっており、このような特性を持つ反強磁性体は“ワイル反強磁性体”という新たな物質群に属することが明らかになっています。しかしながら、ワイル反強磁性体に関する研究は単結晶バルク試料において行われており、その機能を用いたデバイス開発を行う上で、バルクに匹敵する性能を持つ薄膜の作製が強く望まれていました。

 本研究では、有望な次世代磁性材料であるワイル反強磁性体Mn3Snを、スパッタリング法を用いてシリコン基板上に作製することに成功しました。さらに、数十nmのMn3Sn多結晶薄膜が、バルク単結晶試料や強磁性体に匹敵するほど大きな異常ホール効果を示すことを実証しました。本薄膜では、①Mn3Sn自体が無毒・安価な元素で構成されている、②均一性の高い大面積の薄膜作製が可能なスパッタリング法を用いている、③製造コスト面に優れ、既に成熟しているシリコンデバイス関連技術を適用できるシリコン基板での作製が可能である点がデバイス応用上の顕著な利点として挙げられます。

図2aに示すように、試料の長辺方向に電流を流し、電流に垂直に配置した電極に生じる異常ホール抵抗RH (= 電圧 VH / 電流I ) を測定した結果、今回作製したMn3Sn薄膜が、強磁性体に匹敵するほど大きな異常ホール効果を室温・ゼロ磁場で示すことがわかりました (図2b)。その一方で、磁気特性の測定では一般的な強磁性体の示す磁化 ~1 μB の1/1000程度の無視できるほど小さな磁化しか示さず、バルク単結晶試料と同様に、Mn3Snの特徴的な磁気構造・バンド構造が作り出す仮想磁場に由来して異常ホール効果が現れていることを示しています。デバイス化した際に読み出し信号として用いられる異常ホール抵抗 RH は膜厚 d に反比例して大きくなるため、薄膜化することで信号強度が増強されますが、今回作製に成功した薄膜では異常ホール抵抗の変化量 ΔRH が 約0.8 Ωとなり、Mn3Snのバルク試料に比べて実に500倍ほど大きな抵抗を得ることに成功しました。今回観測された異常ホール抵抗は、近年、反強磁性体において観測されている異方性磁気抵抗効果の100倍程度大きな信号です。また、異常ホール効果は、メモリ内で記憶する情報である“0“と“1”に対応する2値の信号 (バイナリー信号)が異なる符号を持つため、読み取り時の測定誤差を各段に抑えることが可能であるという特徴を持っています。本研究成果は、反強磁性体を用いた磁気メモリを実現するために重要な研究であり、革新的な磁気デバイス開発の大きな進展が期待されます。

強磁性体と同様に電気・熱・光に対して巨大な応答を示す反強磁性体Mn3Snは、強磁性体と反強磁性体の両方の機能性を併せ持つ次世代の磁性材料であり、本研究の成果である薄膜技術を用いることで、今後実用化を目指した機能性反強磁性体の応用研究が急速に進んでいくことが期待されます。その具体的な応用例として、今回、本研究グループが薄膜試料において観測した「異常ホール効果」を用いた高速・高密度な不揮発性磁気メモリ (図3) がまず挙げられますが、バルク試料で既に確認されている熱・光に対する応答を用いることで、さらに幅広い展開も期待できます。たとえば、熱、光、振動などの未利用エネルギーを用いて発電を行うエナジーハーヴェスティング分野で注目されている“熱を電気に変換する”異常ネルンスト効果を用いた熱電変換素子への適用が考えられます。異常ネルンスト効果では、熱流に垂直に配置された電極間に電圧が生じるため、本薄膜作製技術を用いて素子の大面積化・高集積化を行うことでより大きな発電電圧を得ることが可能となります。Mn3Snにおいて現れる電気や熱に対する巨大な応答は、ワイル点と呼ばれる電子構造のトポロジーと密接に関わっており、このような特性を持つ反強磁性体“ワイル反強磁性体”はMn3Snの発見を契機に世界中で盛んに研究が行われています。今後、新たなワイル反強磁性体の探索を行うとともに、実用化へ向けたデバイス作製とその機能性の開拓を行っていきます。

本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「微小エネルギーを利用した革新的な環境発電技術の創出」研究領域 (研究総括:谷口 研二、研究副総括:秋永 広幸) における研究課題「トポロジカルな電子構造を利用した革新的エネルギーハーヴェスティングの基盤技術創製 課題番号 JPMJCR15Q5 (研究代表者:中辻 知) 並びに、「トポロジカル材料科学に基づく革新的機能を有する材料・デバイスの創出」研究領域 (研究総括:上田 正仁) における研究課題「電子構造のトポロジーを利用した機能性磁性材料の開発とデバイス創成」課題番号 JPMJCR18T3 (研究代表者:中辻 知)、文部科学省 科学研究費補助金 新学術領域「J- Physics:多極子伝導系の物理」課題番号 15H05882 (研究代表:播磨 尚朝) における研究計画班「A01: 局在多極子と伝導電子の相関効果」課題番号 15H05883 (研究代表者:中辻 知) の一環として行われました。本研究成果は、日本学術振興会の戦略的国際研究交流推進事業「頭脳循環を加速する戦略的国際研究ネットワーク推進プログラム」における事業課題「新奇量子物質が生み出すトポロジカル現象の先導的研究ネットワーク」 (主担当者:瀧川 仁) の助成を通して、海外の研究者との共同研究・交流により研究を展開させていった中で得られたものです。


【発表雑誌】

雑誌: Applied Physics Letter 113, 202402 (2018). “Featured Articles” (DOI番号: 10.1063/1.5064697)

論文タイトル:Anomalous Hall Effect in Thin Films of the Weyl Antiferromagnet Mn3Sn

著者:Tomoya Higo, Danru Qu, Yufan Li, C. L. Chien, Yoshichika Otani, and Satoru Nakatsuji* (*:責任著者)


【用語解説】

(注1) ワイル反強磁性体Mn3Sn

Mn3 Snはカゴメ格子と呼ばれるカゴの網目のような格子が積層した構造をとり、Mn原子とそのスピンが正三角形の頂点に配置されています (図1a)。この時、隣り合うスピンに互いに反対方向を向こうとする力が働き、それぞれが120度傾いた状態で安定になります。また、2層のカゴメ格子にスピンが6つ配置された単位構造を見ると、クラスター磁気八極子と呼ばれる複数のスピンで構成される新しい自由度を持っていることがわかります (図1b)。このスピン構造 (磁気八極子) は非常に小さい外部磁場をかけることで操作が可能で、磁気八極子の反転に伴って、100 Tに相当する仮想磁場が反転し、異常ホール効果や異常ネルンスト効果が制御できることが明らかになっています。仮想磁場の起源として、運動量空間におけるワイル点が重要であることが最近の研究によりわかってきています。

(注2) 異常ホール効果

電気を流すことが可能な物質において、互いに垂直に磁場と電流を与えた際に、電流として流れている電子の運動方向が磁場により曲げられ、磁場・電流と垂直の方向に起電力が生じる現象をホール効果と呼びます。自発的に磁化を持つ強磁性体や、仮想磁場 (波数空間に存在する有効磁場で、電子構造のトポロジーに起因する新しい物理概念) を持つ特殊な反強磁性体ではゼロ磁場においてもホール効果が生じ、これらを異常ホール効果と呼びます。

(注3) 異常ネルンスト効果

 電気を流すことが可能な物質において、互いに垂直に磁場と温度差を与えることで、高温側から低温側へ向かう電子の流れが磁場により曲げられた際に、磁場・温度差と垂直な方向に起電力が生じる現象をネルンスト効果と呼びます。自発的に磁化を持つ強磁性体や、仮想磁場を持つ特殊な反強磁性体ではゼロ磁場でもネルンスト効果が発生し、これを異常ネルンスト効果と呼びます。異常ネルンスト効果の場合、外部から磁場を印加する必要がなく、温度差のみで発電が可能です。

(注4) 磁気光学カー効果

 磁性体に直線偏光を入射した際に、試料の持つ磁化の向きに応じて反射光の偏光面が回転する現象を磁気光学カー効果といい、光磁気ディスクや光アイソレータといった身近で利用される磁気光学素子の原理として用いられています。最近の研究により、磁化だけでなく、磁気多極子の秩序に由来して現れることも明らかにされています。

(注5) 磁性体 (強磁性体・反強磁性体・常磁性体)

 磁性体は、電子の自転運動に起因した「微小な磁石 (スピン)」を有する物質で、巨視的な数のスピンが何らかのパターンで整列する磁気秩序を示します。① スピンが一様な方向に揃うことで磁石のように大きな磁化を示す 強磁性体、② 隣り合うスピンが反平行や互いを打ち消しあうように配列することで正味の磁化がゼロもしくは非常に小さくなっている反強磁性体、に分類されます。また③ スピンが整列せずに揺らいでいる状態の物質は常磁性体に分類されます。

(注6) 漂遊磁界

 磁性体から外部へ出ている磁界のことを漂遊磁界といいます。漂遊磁界は磁化の大きさに比例しており、自発的に磁化をもつ強磁性体の場合に大きな値となります。磁石にクレジットカードを近づけるとデータが消えてしまうのと同様に、高集積記憶デバイスにおいて、漂遊磁界が隣の素子に作用し、情報を誤って書き換えてしまうなどの問題が生じることがあります。

(注7) クラスター磁気八極子

 磁石はN極とS極の2つの極を持っていますが、磁性体の各格子点に配置されたスピンも2つの極を持ち、これは磁気双極子とも呼ばれています。複数の格子点に配置されたスピンで1つのユニットを考えた際に作られる特徴的なスピンの組み合わせをクラスター磁気多極子といい、構成するスピンの数が1、2、3つと増えるにつれて、磁気双極子、四極子、八極子というようにその組み合わせの名前が変わっていきます。反強磁性金属Mn 3 Snのスピン構造では、3種類のスピンでのユニットを考えることができ、図1bに示すようにクラスター磁気八極子を持っていると考えることができます。クラスター多極子が強的に配列している物質では、磁化の総和がゼロとなる組み合わせにおいても、強磁性体で見られるような巨視的な応答が現れることがわかってきています。

(注8) ワイル点・ワイル反金属・ワイル磁性体

 1921年にヘルマン・ワイルが提唱したワイル方程式に従って記述される質量ゼロの粒子 (ワイル粒子) を持つ物質はワイル半金属と呼ばれています。ワイル半金属では異なるカイラリティ (右巻き・左巻きの自由度) を持つ対となって発生し、磁石のN極とS極に相当する2つのワイル点を運動量空間において形成します。通常のワイル半金属では物質の結晶構造に由来したワイル点が創出されますが、磁性によって創出されるワイル点を持つ磁性体をワイル磁性体といい、磁場などの外場によって磁気構造を制御することで、ワイル点とそれに付随した仮想磁場の制御が可能であるなどの応用する上でも魅力的な特徴が見つかっています。ワイル点間に生じる仮想磁場は100 Tもの外部磁場に相当するほど大きなもので、巨大な異常ホール効果等の起源であることが明らかとなってきています。

【図】


図6.1 反強磁性体Mn3Snの結晶構造と磁気構造。

(a) Mn3Snは [0001] 方向に磁性原子のMn (赤&青の大球) からなるカゴメ格子が積層した構造をもち、420 K (約150℃) 以下で、Mnのスピンが逆120度構造と呼ばれる非共線的な反強磁性スピン構造を示します。(b) 二層のカゴメ格子上の6つのスピンを見てみると、六角形で示されているクラスター磁気八極子と呼ばれるスピン秩序のユニットが強的に整列していることがわかります。仮想磁場の向きや異常ホール効果は、このユニットの向きを外部磁場により制御することでコントロールすることが可能です。


図6.2 反強磁性体Mn3Sn薄膜における異常ホール効果。

(a) Mn3Snにおいて生じる異常ホール効果の概要図。 Mn3Snでは磁化は無視できるほど小さく、磁化に由来した異常ホール効果は期待できないものの、特徴的な磁気構造・バンド構造によって運動量空間に仮想磁場が存在します。この仮想磁場が伝導キャリア (電子やホール) に作用することで強磁性体に匹敵する異常ホール効果 (ホール抵抗RH = ホール電圧 VH / 電流I ) が生じていると考えられています。(b)室温 (300 K) でのホール抵抗と面直磁化の磁場依存性。強磁性体の1/1000程度の磁化しか持たない一方で、非常に大きな異常ホール抵抗を示します。




図3 反強磁性体Mn3Sn薄膜を用いた異常ホールメモリのイメージ。

Mn3 Sn薄膜において生じる仮想磁場に由来した巨大な異常ホール効果を用いることで、磁化や漂遊磁界が無視できるほど小さい、高集積・高速な異常ホールメモリの実現が期待されます。実際のメモリ作成に向けて、今後、電流などの外部磁場以外の外場による異常ホール効果の符号反転技術の開発や熱安定性の検証が非常に重要となります。


このページのトップへ

研究テーマに戻る



ここでは反強磁性体Mn3Snにおける、非従来型の巨大異常ホール効果について紹介します。

大学院生・ポスドク募集

私たちの研究室では大学院生、ポスドクを受け入れております。大学院入学希望者、ポスドク希望者の方はこちらを参照してください。